かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第1話「フライト」2

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 桜陽高校に落ちた。しかしそれからのことは何も考えていなかった。とにかく桜陽のことで手一杯だった真島家はとりあえず世話になっている塾に相談することにした。塾の一室で塾長と一緒に四人で偏差値表を広げ、ああでもないこうでもないとやりはじめる。柚葉はそれに適当にうなずきつつぼーっとしていた。簡単に切り替えられるほどタフではなかったし、簡単に忘れられるほど今までを適当に生きていた訳じゃなかった。
 何を言っても上の空の柚葉に塾長は言った。
「海央館受けてこい」
「……はあ?」
 思わず間抜けな声が出た。
「どこですかそれ」
「鹿児島のお嬢様高校。とりあえず受けてこい。それで自信つけて、後半頑張れ」
「はあ」
 過去問三年分渡しておくからな、とだけ言って塾長は席を外した。三年分たったそれだけでいいのか? と柚葉は思うが、まあ鹿児島なんて行くわけないし、と大きくあくびをした。それより今からどこを第二志望にするか、それが問題だ。
 当日、市民ホールを借りて行われた海央館女子高校関東入試は閑散としていた。そりゃあそうだ、わざわざ鹿児島の高校を受けにいく人なんてだいたいお試し受験以外にない。
 受験者人数が少ないので筆記と面接は同日開催。パーティションで区切った部屋の中に五十人ほどしかいなかった。
 試験官の合図で問題用紙をめくった。さっと全体に目を通すと中難度の問題がたくさん並んでいる。つまり、速く正確に数をこなしていけばいい。迷うようなものはひとつもない。柚葉はひたすら鉛筆を走らせた。
 筆記が終わると昼休みを挟んで面接へ。グループで五人ずつ別室に呼ばれていく。他の受験生たちが緊張するなか、柚葉だけは他人事のようだった。むしろどうでもよかった。やけくそだった。
 面接室には三人の試験官。その三人と向き合うように椅子が五つ並んでいた。頭の中でいくつかの質問パターンをピックアップする。さて、何が出るか。
「もしわが校に合格したらどうしますか?」
 そのぐらいの質問なら準備はしていた。いや、むしろこれを聞かない方がおかしいのだ。なんてったって鹿児島の高校、ほとんどがお試し受験の生徒にとってこれを聞かれるのが一番困るはずなのだから。
 だからこそ、まさかこんな変化球が来るとは誰も想像しなかった。
「もしあなたが一億円の宝くじが当たって、しかもあなたの余命がいくばくもないとしたら、あなたはその一億円をどうしますか?また、最期の日をどう過ごしますか?」
 柚葉は面食らった。そんなもの聞いてどうする。あとの四人をちらりと見ると、柚葉と同じく明らかに動揺していた。試験官に目を戻すと、試験官は楽しそうに微笑んでいる。
「答えのできた方からどうぞ」
 まずは真面目そうな眼鏡の子が答えた。
「全額寄付します」
「どうして?」
「お金は自分が死んだら持っていても価値がないものなので」
 出たよ、大人の好きそうな解答、と柚葉は鼻白む。その子はそのあとも「最期の日は家族と過ごします」と模範解答を続けた。二人目も三人目も当たり障りなく似たような感じだった。四人目はこう答えた。
「家族に残します。自分がいなくても楽しく過ごせるように。最期の一日は家族と一緒に旅行しながら、世界の絶景を眺めていたいです」
 その子の家は旅行好きなのだそうだ。
 さて、私の番だ、と柚葉は考える。いや、考える暇はなかった。考えをまとめる前に順番が来てしまったのだ。模範解答? そんなものクソ食らえだ。だから素直に柚葉はこう答えた。
「三分の一は寄付して、三分の一は家族に残して、三分の一は最期の日にぱーっと使いきります」
 目を丸くする受験生たち。これには試験官も笑い出した。笑いながら柚葉に聞く。
「どうしてそう思ったのかな?」
「全額寄付しちゃうのはもったいない気がするし、家族に遺すといっても一億円も遺されたら多すぎて使うのに困ると思います。それに自分の最期の一日ぐらい、楽しいことをやりきってみたいと思いました」
 試験官が身を乗り出す。
「じゃあ、最期の一日は何をしたい?」
「家族でカレーと肉じゃがを食べたいです、あとフカヒレ」
「フカヒレ?」
 きょとんとする試験官に柚葉はこう答えた。
「カレーと肉じゃがは母と祖母の作ってくれる味なのでどうしても最後に食べたくて。フカヒレは好物なんですけどいつもはちょっとしか食べられないので、三千万円もあれば家族四人で姿煮がたくさん食べられるかなと。一度でいいから食べてみたいんです、ヒレのままで」
 もはや三人の試験官は大爆笑だった。つられて笑い出す柚葉。それを四人の受験生はそれをただ呆然と見つめていた。
 柚葉はその後海央館からの合格通知を待ちつつ関東一帯の中堅校を受験し、全て合格した。あの面接で吹っ切れたのは間違いなかった。そしてついにネットでの海央館合格発表の日、柚葉は塾長と一緒にパソコン画面を覗き込んでいた。塾長の緊張した面持ちとは対照に、どうでもいいじゃん、と柚葉はパイプ椅子に座って足をぶらぶらしている。合否がわからないのはもうここだけだった。
「柚葉、手応えはどうだった」
「まあまあ。すごく難しいってわけじゃなかった」
 塾長がネット回線を立ち上げ学校サイトにアクセス。柚葉の受験番号を打ち込みエンターを押すが、回線が込み合っていてなかなかロードできない。
 数度目のロードでなんとか入ることができた。合格の二文字がシンプルに表示され、以下必要事項のPDFファイルのリンクなどが貼ってある。
「受かってる。やったぞ!」
 塾長がそこまで喜ぶ理由が柚葉はにはよくわからなかった。
「まあ受験者数少なかったし、当然じゃない?」
「地方枠はな。それでも倍率は四倍以上だったんだぞ」
「え?」
 きょとんとする柚葉に塾長は言った。
「お前にはわざと言わなかったんだがな、この海央館女子高校ってのは桜陽高校に次いで全国二位の偏差値だ」
「……何それ」
「九州に住んでたら誰もが一度は憧れる超有名校だ。むしろ知らん方がおかしい」
 全国二位?と頭の中で繰り返す柚葉。
「そんなに有名なの?」
「あったりまえだ、お前の両親二人とも海央館知ってたぞ」
 柚葉は唖然とした。そして帰宅するなり両親を問い詰めた。
「何で教えてくれなかったの!」
 母親は夕食を作る手を止め肩をすくめた。
「言ったら緊張するかなって思って」
 そう言ってくれた母親はまだよかった。父親はたった一言、
「常識」
 と一蹴。そしてこう続けた。
「どうせ行かんだろう」
「……待ってよ」
 え? と父親は驚いた顔を見せた。柚葉自身も無意識に出た言葉に驚いた。でも勢いで全部言ってしまう。
「行きたいところは私が決める。行かないとかできないとか、勝手に父さんが決めないで」
「まあ、そりゃそうだけど」
 父親は柚葉の剣幕に少しびっくりしていた。
「さすがに鹿児島は無理だろう」
 柚葉は何も答えなかった。

***

 その日から柚葉は極度にふさぎはじめた。第二志望が決まらない。学校に行く気がしない。家にいたくない。柚葉は「進路考える方が大事でしょ」と言い訳して学校をサボり、朝から塾に入り浸っていた。もはや塾長も黙っていた。塾の隅っこの一室を占領し、偏差値表を眺めてはふて寝していた。
 関東一帯、良さそうなところはたいがい行ける。……桜陽を除いては。しかも悪いことにみんな電車通学で、みんな桜陽と同じ方面に学校があった。つまり、毎朝桜陽の制服を見ながら通学することになる。最悪だ。だからどこにも行く気がしない。
 高校に入ればそれはそれなりに楽しい生活が待っている? アホか。ゴールは同じだ。結局は大学受験で桜陽と同じ土俵でまた戦わなければいけない。私の桜陽コンプレックスに終わりはないのだ。
 そこでふと柚葉は思う。私は何と、何のために、戦っているんだったっけ?
 しばらく答えが出なかった。
「――そうか」
 柚葉はひとつ腑に落ちた。私は考えたことがなかった。いや、考えたくなかったから考えないように走ってきたのだ。走って、目の前のものは叩き潰した。それが誰であろうと、私自身であろうと。
 プライドのために戦ってきた。今ここに認めよう。私は私のためではなくて、私の意思ではなくて、ただ、私のプライドのために戦ってきた。誉められるいい子でいるため、他人より優れた私でいるため、誰かに負けないため、バカにされて傷つかないため。
 その私が負けて、今ようやく気づく。それがどんなに脆くて痛々しい自分だったか。そして今自分に何が決定的に足りないのか。
 自分で傷つくことを受け入れること。自分で選ぶこと。
 両親は「柚葉の好きなようにしなさい」「柚葉の人生は自分で選びなさい」といつだって自分にたくさんの選択肢を用意してくれた。あれやってみたいとお願いすればだいたい聞いてくれた。だが、それが本当に自分の意思だったのか。今思えば違う、と柚葉は確信する。私は「これが正解だろう」というものを選びとっただけだった。正解っぽいものは大人の顔色を見ていればだいたいわかる。「自分で選んだ」と口では言いつつも、結局その理由は「合理的だから」「消去法で一番いいのはこれしかないから」ということでしかなかった。だから失敗しないし、失敗しても傷つかない。選んだのは自分じゃないから。
 私はどうしたい? 柚葉は何度も根気強く自分に問いかけた。自分の心を聴く耳を捨てた柚葉にとってそれは恐ろしく時間のかかることだった。
 日が暮れて、窓の外の空が黒くなる。底冷えのする教室の中で柚葉は一人宙を睨んでいた。
 むき出しの心が、震えながら柚葉にあることを囁いた。

***

 父親が帰ってくるのを待っていたらいつの間にか十一時になっていた。いつもの足音がして、少し手間取ってからガチャンと玄関のドアが開き、疲れた足取りでリビングに入ってくる。
「ただいまー」
 加齢臭の混じった脂の臭い。スーツを脱ぎ始めるのを横目で見ながら柚葉は夕食を温めなおしてやる。
「まだ起きてたのか」
「うん」
 父親がテレビのニュース番組を見始める。いつもなら会話はそこで終わるはずだった。父親は柚葉が一通りテーブルに皿を並べ終わるとすぐにがっつき始めた。もう柚葉のことは意識にない。
 柚葉は最後の皿を置いてからしばらくその場に黙って立っていたが、ついに意を決して言った。
「父さん、無理じゃないかもしれない」
 何が、と顔を上げる父親。その目を柚葉は震えながらもしっかり見返した。
「海央館、無理じゃないかもしれない」
「……何で?」
「寮がある」
 柚葉は父親の目の前にばさりと資料を置いた。すでにマーカーが引かれたコピーの束、入学資料、必要書類。
「父さん、私海央館に行きたい」
 しかし父親も負けてはいない。動揺することなく書類をちらりとも見ずに言う。
「生活はどうする」
「私寮生活する」
 柚葉の言葉に父親は絶句した。その隙に柚葉は矢継ぎ早に続ける。
「大学受験は海央館が関東の私立にたくさん推薦枠持ってる、それで私関東に帰ってくるから。迷惑はかけない、あそこ進学校だから勉強ちゃんとしてるし。寮生活だから一人で生きてく力がつく。お金はかかるけど私あそこがいい。だからお金出してくださいお願いします」
 あまりのことに父親は笑ってしまった。
「意味がわからん」
「行かせてくださいお願いします」
 頭を下げるのが嫌いな柚葉だがこの時ばかりは頭を下げた。父親が眉をひそめる。
「お前自活できないだろう。日頃家事手伝わないくせに」
 柚葉はぱっと顔を上げすぐさま食らいついた。
「そんなのやってみないとわからないし、ここにいる限り私はやらないと思う。そもそも、父さんに言われたくない。ゴミの分別もできない父さんに」
 父親の眉がぴくっと動く。一言多いのはいつもの癖だ。でも柚葉は悪びれない。
「だって事実じゃない」
 口を尖らせてそう言う柚葉に父親は真面目になって言った。
「何がお前をそうさせるんだ。お前は、ただ単に桜陽高校に落ちてやけになってるんじゃないのか」
「だったら何なのよ。関東にいたくないって理由じゃだめなの?」
「お前は現実から逃げている」
 その言葉は柚葉の一番痛いところに刺さった。
 そうだろう、そうだろうよ、と頭の中で反芻するたびじわじわ涙が出てくる。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
 今の柚葉を動かしているのは、腹の底から沸き上がる行き場のない怒りだった。
「どこにいようと私が今ここにいることが現実よ。現実から逃げるんなら桜陽に落ちたその日にホームから飛び込んでるしとっくにこの世から逃げてる」
 柚葉はもう涙をぬぐうのもやめて一息にぶちまけた。
「私もう嫌なんだよ。これから毎日電車で桜陽の制服横目で見ながら『いつか見返してやる』って思うのが。これから三年間ずっとそういうこと思いながら過ごして、また大学受験して、就職活動して、そういうの虚しいよ。私は未来に投資するために受験したんでしょ。未来のために今を犠牲にしたんでしょ。大学受験して就活してどっかに就職する、どうせその時には大学の勉強だけじゃなくて資格の勉強とかで忙しくなってる。その時の私に、『青春(笑)』なんてバカなことしてる時間なんて残ってない。将来何になりたいとか、そういうの真面目に探してる時間なんてない。私の最後の子供時代はもう三年しか残ってないの、それすら未来に投資したら私に残るものって何? 大事な記憶って何? 勉強して挫折して第二志望に通ったこと? そこでリベンジに燃えるかっこいい私? 違うでしょ。そんなのこれから何度でも味わうことじゃん。そんな大人の誰でもできることなんか私はしたくない。子供だからできる自由ってのは大人の自由とは全然違うのよ。それが父さんにはわからないの? そうだろうよ、受験期間中私まだ子供だけど子供に返りたいって何度も思った、その気持ちが父さんには絶対わかんないよっ!」
 もう柚葉は声を抑えるのもやめていた。知ったことか、とすら思っていた。全世界敵に回したってこれだけは言わせてもらうと決めていた。
「全部見えてるよ、この先のことぐらい。私バカじゃないもん」
 柚葉は鼻をすすった。
「大人になればなるほど間違っちゃいけない。そうでしょ。でもさ、そんなこれからもっと答えのないものにぶつかってそれでも間違っちゃいけない私が今まで何も間違ったことのない人間だとしたら、そんなの何が正しくて何が間違いなのかわかりっこないじゃん。子供っていうのは間違っても許される、そういう時代でしょ。それが『学ぶ』ってことでしょ。それを行使しないでこれから生きるぐらいなら死んだ方がまし。ろくに反抗もできないこの家で窒息するぐらいなら鹿児島で毎日座禅でも組んでた方がよっぽど精神衛生上健全だし」
 もっとも、と柚葉は鋭く叫んだ。
「私にこんなこと言わせんじゃないわよ、私の親のくせに!」
「柚葉っ」
「もういい!」
 柚葉は父親を振り切り自分の部屋に逃げ込み、ドアをぴしゃりと閉めると火照った体のままベッドに飛び込んで電気を消した。もう戻れない、と柚葉は初めての反抗にベッドの中で震えた。
 その日から柚葉と父親は目も合わさなくなり口も利かなくなり、母親のため息は増え、祖母は寝込み始めた。
 柚葉は知っていた。これにくじけてはいけない。籠城戦の長期戦に持ち込めば必ず勝てる。こちらの本気を見せれば両親は折れるに違いない。なぜなら、私の進路を決めるのは私だからだ。私の意思がそこにある限り、それだけは誰にも反論できない。お金さえ出してくれれば、それさえできれば――柚葉は毎日そう念じてから眠りについた。
 お陰で柚葉の体重は少し減った。

つづく