かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第2話「はじめの一歩」1

f:id:orthometapara-komatsu:20160226134451j:plain

 海央館女子高校に程近いところ、乙女坂の途中にある学生寮「かもめ寮」。一年生は三階、二年生は二階、三年生は一階に部屋があり、一・二年生までは二人一部屋、三年生は個室という決まりになっていた。

  入学式の三日前、柚葉はかもめ寮に越してきた。寮長を務める三年生の塩見結子と碇八千代に共同スペースや食堂の使い方を簡単に教えてもらってから自室に案内される。三人で階段を上りながら塩見が言った。
「柚葉ちゃんのお部屋には南城さん、お隣には佐々木さんっていう子がもう越してきてるからね。仲良くしてね」
「はい」
 私が最後か。柚葉は訊いた。
「一年生は何人ぐらい入寮予定ですか?」
 柚葉の問いに塩見が碇の方を向く。
「ハチ子さん、柚葉ちゃん入れて三人だよね?」
「うん、三人」
「三人……」
 少ないな、と思いながら柚葉は身構える。これから共同生活が始まるのだ。喧嘩しませんように、と静かに祈る。その緊張をほぐすように碇が言った。
「柚葉ちゃんってどう呼べばいいかな、ゆずちゃん?」
「中学の時はそう呼ばれていたので、それでいいです」
「じゃあゆずちゃんで行きましょう! うふふ」
 塩見が感慨深そうに息を吐く。
「わあ、まだ一年生かぁ。ねえハチ子さん、一年生だよ」
「楽しみだねぇ、塩さん」
 ねえー、と繰り返す碇。なんとものんびりした二人だ。お嬢様ってことはタカビーなのばっかだと思ってたよ、とほっこりする柚葉。しかし碇がこう続けた。
「かわいい女の子! 若い子! わー、若いっていいねえ!」
「ハチ子さんハチ子さん、目が危ない」
「あっ、ごめん」
 ……何かが違うかもしれない。柚葉は急激に不安になってきた。柚葉の荷物の入った段ボールが積んであるのが見えた。あそこが私の部屋、と柚葉の鼓動が少し速くなる。
「三〇二号室の鍵はこれね。ちょっと癖があるから気をつけて」
 塩見に渡された部屋の鍵は家の鍵とそう変わらないものだった。碇が思い出したように付け足す。
「ああ、確か三〇二は、引いて、押す!」
 あとは頑張れ、それじゃ、と去っていく先輩二人。
 廊下に一人になった。
 ふー、とひとつ息を吐いてからノックをふたつ。鍵穴に差し込んでもひっかかってなかなか回らない鍵。
「んっ」
 引いて押す、だっけ、とノブを引きながら鍵を回す。少しだけ回った。
 えい、と今度は押してみる。くるっと回る鍵、思いがけず軽いドア。勢い余って柚葉は部屋の中につんのめった。
「わっ、とと、」
 顔を上げると、新しいルームメイトがこっちを見ていた。恥ずかしさで赤くなる柚葉。
「あっ、こんにちは!」
 にこっ、とひまわりのように明るい笑顔を柚葉に向けた彼女は、
 段ボール箱から溢れるぐっちゃぐちゃの衣服と荷物の山の中にいた。
「……」
「あっ、ごめん! 今なおすねっ!」
 絶句する柚葉の視線に気づいて笑う彼女。「なおす」ってことは片づけるのかと思ったら、ぐっちゃりの山が右から左に動いただけだった。柚葉はますます何も言えなくなった。

***

 柚葉も段ボールを運び込み、隣で荷ほどきを始める。荷ほどきしながら柚葉はイライラしていた。そこの荷物なんとかしろよ。部屋の床を頭の中で二等分する。こっちのテリトリーとあっちのテリトリー。その境界を彼女は明らかに侵害している。悪気はないのだろうが。そういうルーズな人が柚葉には許せない。ぐっちゃりしてるの見られて恥ずかしくないのか! 私だったら死ぬほど恥ずかしいぞ!? ……と思うのだが隣の彼女はるんるんで段ボール箱をひっくり返している。さらに広がるカオス。
 待って、待って、と静かにパニクる柚葉。こいつはお嬢様育ちだから服を畳んだことがないのか、それとも外部生か。
 海央館には初等部と中等部があるので、女子高の内部進学者は半数以上を占める。その内部進学者がいわゆる「お嬢様」と呼ばれる部類なのだ。さらにその時の柚葉は知らなかったが、実際は外部受験者の中にもお嬢様が多い。
 お前はどっちだ、と隣のルームメイトをじっと見つめる柚葉。その視線に気づいて彼女はにこっと笑った。
「あ、私、南城晴って言います! お名前聞いてもいいですか?」
 こういう場面が一番苦手だ。ぎこちない笑みを浮かべながら柚葉は言う。
「……真島柚葉です、よろしく」
「訛ってないね、どこ出身?」
 あんまり言いたくないな……と柚葉は少し苦い思いで白状する。
「……横浜」
「んだもしたん! 横浜!?」
「んだ……え?」
 今なんつった、と混乱する柚葉を無視して晴が続ける。
「横浜って、神奈川の!?」
「う、うん……」
「わざわざ!? えー、すごい! すごいよ!」
 何が、と柚葉は自虐する。亡命なんですけどどう見ても、とひとりでマイナスのループにはまっていきそうな柚葉の思考を晴の声がぶち抜いた。
「え、だって一人暮らしなんだよ!? たった一人で鹿児島なんだよ!? うちらまだ十五歳そこそこなんだよ!? それってすごくない!? 柚葉ちゃんかっこいいよそれ!」
 かっこいい? そうなの? 初めて誰かに肯定されて柚葉は驚いて何も言えなかった。晴が興奮気味に早口で続ける。
「なんか困ったことあったら言ってね! あっ、私もいっぱい迷惑かけるかもだから先に謝っとく、ごめんなさい! これから一年よろしくお願いします!」
「こ、こちらこそ……」
 不思議な気分だった。何なんだこいつは、と。
 だって晴と私が知り合ってまだ一日もしていないのに、何でこの子は私を警戒したり疑ったりしないんだろう。横浜から鹿児島だなんて、どう見たっておかしいじゃないか。関東で何かまずいことをしたんじゃないかとか、そのぐらいは思うはずだ。ヤバいやつなんじゃないかとか、そのぐらい警戒したって当然だ。
 何なんだ、この「渡る世間に鬼はなし」みたいな能天気さは。そんなあまっちょろい生き方で生きてきたとでもいうのか。いや、実はこの人懐っこいキャラはフェイクで、本当は腹黒の切れ者だったりして……
 どっちだ! とますます混乱しながら柚葉も自分の荷物を取り出す。服や本、新しく買ってもらったノートパソコンを丁寧に出していく。……使うスペースは一畳そこそこ。一方の晴は鼻歌を歌いながら(!)無限のカオスを生み出している。狭い。柚葉もいい加減プチンと何かが切れそうだ。そろそろ言いたいことは言うべきかもしれない。
 いろいろ考えて、柚葉は晴に言った。
「……緊張してなさそうで、いいね?」
 渾身の皮肉のつもりだった。晴がにこっとする。
「えっ、そうかな?」
 こ、こいつ効いてねえ!! 柚葉はむしろビビった。どんだけ鈍いんだよ!!
 その時突然、隣の部屋で「わっ、ぎゃーっ!」という悲鳴とガチャンと何かが落ちて壊れる音が聞こえた。
「ん? 何?」
「さあ」
 晴と柚葉で顔を見合わせる。すると、柚葉たちの部屋のドアから控え目なノックがした。
「私行くわ」
 柚葉がドアを開けると、そこには風呂上がりらしく肩にタオルをかけた子がちょっと申し訳なさそうに立っていた。
「隣の部屋の佐々木遊莉なんだけど」
 遊莉は濡れた髪から雫が落ちないようタオルで毛先を包む。
「知り合って早々に申し訳ないんだけどさ、ドライヤー貸してくんない?」
「はあ!?」
 どうやらさっきの悲鳴はそういうことらしい。
「私天パだからさ、ドライヤーかけないと髪の毛爆発して手に負えなくなるの」
 知らんよそんなもん、と思うが困っている人を放っておくのも好きじゃない。
 柚葉が迷っているうちに晴が後ろから顔を出した。
「私のでよければ使って!」
「おっ、助かったわー」
 遊莉はドライヤーを受けとるとさっさと自室に引っ込んだ。柚葉は衝撃と混乱とでただただ呆然としていた。
 ありがとうを言わない人間を初めて見た。

***

 入学式その日から、柚葉は緊張でガチガチだった。いや、そもそもかもめ寮に越してきた時から緊張していたのだ。それに自分で気づかないほどに。
 何が何だかわからないうちに三日が過ぎ、一週間が過ぎた。そのころにはクラスにグループみたいなものがいくつかできてしまっていた。四十二人のクラスの中で、柚葉はいつの間にか一人になっていた。確率とは不思議なもので、なぜか同じクラスに遊莉と晴がいたが、二人とも外部生たちの小さなグループに入っていつも楽しそうにお昼ご飯を一緒に食べていた。
 完全に出遅れた。柚葉は焦る。が、どうしたらいいのかわからない。
 読書の好きな女の子、の、ふりをしてみる。いや、もともと読書が好きだった。そういうことした。そういうことにしないと「あいつ、いつもボッチの痛いやつ」と言われてしまうから。そうやって柚葉は防御に出れば出るほど一人になったし、焦りも増していった。
 中学の時はなんとか居場所があった。小学校の時の友達がたくさんいたし、萌菜がいつもそばにいてくれた。だから今さら友達を作る必要なんかなかった。友達なんか少なくていいと思っていたし、つきあいで一緒にいるぐらいなら友達やめちまえとすら思っていた。
 だからわからないのだ。人とどう付き合ったらいいのか。
 今さらすぎる大問題に柚葉は足がすくんだ。とりあえず授業が終わるたびに図書室に駆け込んで本を読み漁った。
 その日の昼休み。柚葉はいつものように図書室にダッシュで駆け込んでいた。今日はサン・テグジュペリの「星の王子さま」を読む、と心に決めていた。
 棚の間を練り歩きようやく本を開いたとき、あの聞き慣れた声がした。
「柚葉ちゃんいるー?」
 晴だ。柚葉はびくっと体を震わせた。来るな、とすら思う。
 ぼっちとか、言うな。
 身構えているうちに足音が近づいてきて、ひょこっと遊莉が棚の間から顔を出した。
「あ、いたいた。晴ー、こっちー」
 晴だと思ったら体操着姿の遊莉でますます柚葉はびっくりした。
「何で、遊莉が」
「あんたならここにいるかなーって」
 それどういう意味よ、と訊く前に、同じく体操着姿の晴がぱたぱたと走ってきた。
「あーよかった、次の授業臨時で体育になったって聞いた?」
「え、そうなの?」
 知らなかった。授業が終わってすぐに図書室に来たものだから知りようもなかったのだ。晴が言う。
「さっき先生から教室に電話入ってさ。柚葉ちゃんいなかったから伝えた方がいいと思って」
 晴の親切に柚葉は言葉が見つからなかった。
「早いとこ着替えた方がいいよ」
 これは遊莉。こいつの言うことはなぜかいちいちムカつく。
 遊莉は言うことは言ったとばかりにすたすた図書室を出ていった。晴は本を棚に戻す柚葉を待っている。
 柚葉は晴に囁いた。
「……それだけ伝えに来たの?」
「うん。だって、大事でしょ」
 にっこり笑う晴。何でこの子は私なんかに優しくできるんだろう、と柚葉は泣きそうになるのをこらえた。

 

つづく