かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第2話「はじめの一歩」2

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 体育のドッヂボールは散々だった。なんせ、昔から体育は苦手だったのだ。小さいときから体を動かすことより絵本を読むのが好きだった。運動ができることより勉強ができる方が女の子はバカにされないし。

  よく考えたらボールを持つのも投げるのも久し振りだった。運動会も実行委員を忙しくしていれば補欠扱いになるし、サボったとも言われない。合法的に休むことを覚えてからはますます運動しなくなったと思う。
 だからって……と柚葉は火照る左頬を氷で冷やしながら思う。
 だからって、顔面にボールが当たるなんて。
 気がついたら外野の子がボールを持っていたのだ。しかも、うっかり目が合ってしまったのだ。そして肉食獣に睨まれたネズミのごとく足がすくんで動けなくなって、避ける間もなくバコンと顔面ヒットになったのだった。めちゃくちゃ痛くて涙が出た。
 体育館の隅っこのベンチに腰かけ真っ赤になった頬を冷やす。まずはさっきボールを当てた子が「ごめんね」と爽やかに謝りに来て(本当に爽やかだった)、それから晴と遊莉が心配してやってきた。
「柚葉ちゃん大丈夫?」
「冷やしとけば大丈夫、だと思う」
 あの子の前では何も言わなかったけど本当に全然大丈夫なわけあるか! とは言えないので代わりにぎこちなく笑う柚葉。口の中切れてないよね? と心配する晴の隣で遊莉は笑っていた。
「いやあ、こんなことってあるのね。あっはっは」
 こっちは本当に痛かったのだ。普通慰めこそすれ笑うとは何事だ。それは黙っておくとして、しかもさあ、と柚葉は口をとがらせる。
「何で顔に当たってもアウトになるのよ。普通顔に当たったらセーフでしょ。危ないから」
「はーん? 何甘いこと言ってるの。顔だろうがどこ当たろうがアウトはアウト。これ常識でしょ?」
 遊莉の言い方にむっとする柚葉。
「そんなことないよ、私の学校はセーフだったもん。顔は危ないから」
「そうなの? あたしんところは昔からアウトだけど」
 それにしても、と遊莉はまた笑う。
「見事にクリーンヒットだったわね、ゆず」
 柚葉はさらにむっとした。運動音痴を笑われたことに、そして、勝手に馴れ馴れしく「ゆず」と呼ばれたことに。私まだあんたのこと友達とは思ってないし、と呟く。もちろん心のなかで。
 次はバレーボールします、と先生の号令がかかり、ネットを張り始める生徒たち。遊莉がそっちをちらりと見てから柚葉を見た。
「ゆず、あんたもう大丈夫なんじゃない?」
「うん、まあ」
 あんたが言うな。柚葉は立ち上がり氷をベンチに置いた。
(大丈夫だけど……大丈夫だけど……)
 晴と悠莉とともにコートの真ん中へ向かいながら、柚葉の額を冷や汗が流れる。
(私バレーボールろくにやったことないんだけど……)
 そのあとのことは言うまでもない。

***

「ほんっとにあんた運動音痴ね。今までどうやって生きてきたのよ?」
 晴・遊莉・柚葉の三人で乙女坂を下りながら遊莉はマシンガンのようにしゃべり続けた。柚葉がふくれっ面で反論する。
「もともと運動苦手だったからやらないように他の仕事してたんだよ。記録係とか、委員とか」
「あんたねー、そんなんじゃこれから生きていけないわよ。ヤバいよ? 先生言ってたじゃない、サーブ入った本数とレシーブ直上とトス直上三分間耐久、それで今学期の成績つけるって」
 そうなのだ。今日やってみたが柚葉は全くできなかったのだ。サーブは全部アウトするかネットに引っかかるし、直上も十回すら続かない。遊莉は涼しい顔でこなすし、晴も遊莉ほどじゃないが及第点といったところ。柚葉はあまりにも自分が恥ずかしくてさっさと帰りたかったのだが、遊莉は「放課後練習するからゆず、つきあって」と言うし、晴も「私もやるやるー!」と楽しそうについていくし、その流れが断れなくて柚葉もつきあうことになったのだ。結局下校時刻三十分前まで遊莉に怒られ続けた柚葉である。
「サーブ入んないとゲームにならないからね。百パー入れてようやく基本だからね」
 遊莉に言われしょげる柚葉。その隣の晴はこう言った。
「サーブと直上だけで点数つけるってことは、それだけ頑張れば成績つくってことでしょ? それって頑張ればできるってことだよね! ちょーラクじゃない!」
 何でこいつはここまでポジティブなんだか……
 あ! と遊莉が突然立ち止まった。
「体操着忘れてきた! 今日洗うつもりだったのに!」
「取りに戻る?」
 柚葉は訊いてみた。立ち止まったのはちょうど寮と学校の間だったし、今から戻れば下校時刻ぎりぎりセーフだ。
 あーどうしようどうしようと遊莉は散々悩んでから言った。
「ゆず、カバン持ってて」
「え?」
「重いから。はい」
 遊莉にカバンを押し付けられて、柚葉は一瞬きょとんとした。
「走っていくのにカバンがあると重いのよ。あ、それから地面には置かないでね。汚れるの嫌だから」
「は!?」
 それが同級生に頼む者の言い草か!? 柚葉はもう我慢ならんと思って口を開いた。
「あのさあ。もうちょっと言い方なんとかならないの。いっつも思うんだけどさ、人にものを頼むんだからちょっと申し訳ないとかいう気持ちはないわけ!?」
 遊莉は「?」と首をかしげて不思議そうな顔をした。
「いいじゃない別に。友達同士なんだし」
 あんたに友達なんて言われたくないわよ! とうっかり口にしそうになったとき、晴が横からカバンを受け取った。
「じゃ、私持ってるね! 遊莉行ってらっしゃい!」
「お、サンキュー」
 それじゃ、と走っていく遊莉。晴はにっこり笑ってそれを見送った。晴の分だけでも十分重そうだが、遊莉のカバンも十分重そうだった。それをニコニコしながら地面にも置かず立って待っているなんて、リンチか何かみたいじゃないか。
 何でそんなことできるんだか。私たちは召使でも何でもないのに。あいつには「友達」って何だかわかってないんじゃないか。晴も晴だ。こんなに振り回されても嫌な顔一つしない。自分が何をされているのかわかっていないんじゃないだろうか。ここまで来るとポジティブ通り越して能天気だ。恥がないのか。理解できない。
 晴一人に持たせておくわけにもいかないので柚葉も一緒に遊莉のカバンを持つことにした。無言で手を伸ばす柚葉に気づいて晴が笑う。
「あ、大丈夫平気平気」
「大丈夫なわけあるか……」
 二人でカバンを持った。これで重さも半分だ。
 こうして、晴と一緒に柚葉は十分間、遊莉の帰りを待っていた。

***

 あーあ、何でこんなついてないのよ……と柚葉は夕食後、二段ベッドの上で隠れてため息をつく。教室では居場所がないし、寮のメンツはいつものこの三人だけだ。しかも遊莉とは絶対気が合いそうにないし、晴の荷物は相変わらずぐっちゃりのままである。 ベッドの上でゴロゴロしながらいつの間にか柚葉は呟いていた。
「いいよね、晴は」
 階下で漫画を読んでいた晴が「うん?」と返す。
「晴は悩みがなさそうだ」
「そうかな? うーん、そうかもね。あはは」
 そうやって晴が笑うたび、柚葉は自分が嫌になった。笑えない。踏み出せない。変われない。ひたすら暗い、そんな自分が嫌だった。
 だから私は一人なんだ。そんなこと知ってるよ。人に話を合わせたりできないし、歩調だって合わないし、いつだって悩んでばっかりだ。傷つくだけでいっぱいいっぱい。
「……晴」
「うん?」
「私この学校向いてないかもしれない」
 柚葉は自嘲気味に言った。笑うしかなかった。間違ったって傷ついたっていいじゃないかと思って自分で選んだこの学校なのに。はじめからそれが間違ってたんだから。バカすぎて笑うしかない。
 そんな柚葉に晴は即答した。
「そんなことないよ!」
 晴ははっきりそう言った。柚葉はにじむ涙を枕カバーでこっそり拭って、ベッドフレームから顔だけ出した。下から晴がこっちをじっと見ていた。
「大丈夫! きっと、これからいーっぱい楽しいことあるから。ね!」
 晴の笑顔は真夏のひまわりみたいに眩しかった。そうかな、と呟くと、「そうだよ!」と力強く返ってきた。
 柚葉には、ありがと、とうなずくので精いっぱいだった。
「晴、おやすみ」
「おやすみー」
 二人で首をひっこめて、カーテンを閉めた。そして、柚葉は顔を枕に押し付けて泣いた。晴は未来を信じていられる、だからあんなにひとに優しくできるのだ。だから晴のまわりには人が集まるし、いつも笑っていられるし、悩まない。
 晴みたいに生まれてくればよかった。私にはできない。柚葉は泣きながらいつの間にか眠っていた。

 

つづく