かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第2話「はじめの一歩」4

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 今日は体育のテストの日だ。しかも一限から。柚葉は少し早起きして食堂に向かい、朝ごはんを多めにとった。あんまり好きじゃない牛乳も少し多めに飲む。
 ちょうど朝ごはんを食べ終わった頃、降りてきた晴とばったり会った。

 「あれ、おはよう。柚葉ちゃん今日早いね?」
「うん。今日はちょっと早めに出るから。先行くね」
「うん、またねー」
 柚葉は晴に手を振り自分の部屋へカバンを取りに戻った。今日は一人で朝練しようと思ったのだ。
 まだ時間が早いせいか、乙女坂は閑散としている。それを柚葉は一人で登っていく。
 晴が電話しているのを聞いてしまったあの夜から、柚葉はずっと考えていた。晴のこと、遊莉のこと、自分のこと。
 今までずっと、自分だけが孤独なんだと思っていた。世界は自分とそれ以外とでできていると思い込んでいた。でもそれは違う。晴だって明るく見えても孤独だ。遊莉も多分そう。そして、孤独だと思い込むあまり気づかなかった。自分が一人じゃなかったことに。
 そもそも、なぜ遊莉がバレーボール練習しよう! と言い出すのか。遊莉なら練習しなくても十分テストには通るはずなのに。毎回やらなくたってもう晴も上達したのに。授業中も、ゲーム中もそう。ピンチになるといつも遊莉が何か言ってくる。自分が上手いからどんくさい自分を見かねてそうしていると思っていたが、よく考えてみるとそうじゃない。……遊莉はわざわざ助けてくれていたのだ。他人のことをなんとも思っていないわけじゃない。むしろ、気にかけているからこそああいう言い方になるのだ。そうでなければとっくに見捨てている。柚葉はようやく自分の勘違いに気がついた。「いいじゃない、友達同士なんだし」と言ったことも、あのきょとんとした顔も、今ならわかる。
 謝ったら許してくれるかな……体操着に着替えて地下体育館に入る。誰もいない体育館はひんやりとしていた。
 しばらく一人で直上の練習をしていた。今まで遊莉に言われたことを冷静に思い出してみると、確かに正しいことばかり言っていたのだ。あの時は聞く耳がなかった、と柚葉は今さらになって反省する。
 直上が続くようになってきたころ、体育館の重たいドアががらりと開いた。
「あら、早いじゃないの」
 体操着姿の遊莉だった。練習していればそのうち来るような、そんな気がしていた。直上をやめて柚葉は遊莉に向き直る。
「……遊莉」
「うん?」
 柚葉は思いきって言った。
「あのさ、こないだはごめん」
「……何が?」
 とぼけているのか本当に忘れたのか。遊莉が首を捻るので柚葉は渋い顔になる。
「だからほら、こないだのカバンのあれ」
「あーはいはい、あれね」
 遊莉は聞いているのかいないのか適当にうなずくと、棚からバレーボールを取り出して一人でトスの練習をし始めた。
「本当にごめんね、私、遊莉のことすごく勘違いしてた。遊莉、悪気はなかったんでしょ。ごめん」
「いいよ、別に。気にしてないからっ、とうっ!」
 跳ね上がるボールに合わせてちょこまかと動く遊莉。
「遊莉」
「何?」
 柚葉は深呼吸をひとつしてから言った。
「友達じゃないとか言ってごめん」
 少し間があった。
「……あんたそんなこと言ったっけ?」
「あっ」
 慌てて記憶をたどる。一度も言ってない。が、思ったことは確かだ。言わなければよかった、と後悔してももう遅いので正直に認める。
「えーと、それに準じたことは言った」
「あっそう」
 ふーん、とたいして気にしていない風の遊莉。その態度が気になって、柚葉はおずおずと言った。
「今からでも友達になれる?」
「……そういうのやめない?」
「え?」
 遊莉はトスをやめボールを小脇に抱えると、柚葉をしっかり見つめてこう言った。
「今から友達になりました、ここからここまでが友達です、とかさ。友達だとかそうじゃないとか、そういうのっていつの間にかそうなってるものじゃないの? だからはじめましてもこれからよろしくもいらない。あたしたちもう友達なんじゃない?」
 柚葉は目を見開いたまましばらく黙っていた。
「……そっか」
 すとんと腑に落ちた。
「そういうことか」
 自然と笑みがこぼれる自分に気づいた。やれやれ、と遊莉が笑っていた。
「ゆず、レシーブの練習やるわよ」
「うん」

***

 直上のテストは何とかうまくいった。サーブも一本失敗したが他はギリギリ入った。最後はゲーム。いつも負けてばっかりのゲームだ。
 遊莉が教えてくれたレシーブのコツを思い出す。板のように肘は伸ばす。膝を柔らかく使ってその曲げ伸ばしでボールに当たっていく。ボールが当たる面が変わってしまうから腕は振らない。あんたは腕を振る癖があるから気をつけなさいよ! だからいつもボールがむちゃくちゃな方向に飛ぶの! いい? 絶対振らないでよ! ――ついさっきまでそう遊莉に怒られ続けていた柚葉である。
 ゲーム中盤から競り合いになってきた。理由は明白。柚葉がボールに触っていないからだ。だいたい柚葉がでしゃばるとしくじって負ける。自爆するぐらいなら初めから引っ込んでいた方が確実に点数になるのだ。残念なことに。
 しかし点数が入るたびにポジションがローテーションで変わるので、どうしてもボールに触らなければならなくなる。あと一ポイントで勝てる、その時になってレシーブポジションに柚葉の番が回ってきてしまった。身構えるチームメイト。それがわからない柚葉でもない。
 しまった、とくじけそうな柚葉に外から晴の声が聞こえてきた。
「柚葉ちゃんがんばれー!」
 もう一人聞こえた。
「ゆずー! ファイトー!」
 遊莉だ。得点板をめくりながら晴と一緒にいた。晴が柚葉に向かって手を振った。遊莉が叫ぶ。
「こらゆず! 何よそ見してんのよ前向け前を!」
「はっ、はい!」
 柚葉は慌てて前を向いた。相変わらず全然優しくない。
 味方のサーブから始まって、しばらく相手方とのラリーが続いた。手前の子がアタックを仕掛けるもレシーブで返されてしまう。
 しかし、そのレシーブも少し慌てたようで、いつもなら余裕をもって返球するところを手加減なしの重くて速い球を打ってきた。
 しかもあろうことか、柚葉に向かって飛んでくる。 
 コートの外から遊莉が叫んでいる。
「ゆず、前!」
 落ちてくるボールを見ながら、半歩だけ前へ。
「前!」
 もう一歩。
「前ーーーっ!」
 柚葉は思い切って前に出た。が、足がもつれて前につんのめる。迫るボール。肘は伸ばす膝は柔らかく、腕は振らない――!
 来い! と柚葉は思わず目をつぶった。
 見事な顔面レシーブ。
 バコンと大きな音がして、ボールはきれいな弧を描いて相手コートに落ちた。ゲームセット。
 柚葉はその場にうずくまった。

***

「ぶっはははは! あひゃ、あっははは!」
 体育館の隅のベンチ。顔を覆ってうつむく柚葉の隣で遊莉はお腹を抱えて大笑いしていた。
「いや、ほんと! すごかったよ今の! 色んな意味でね! あは、あひゃひゃ」
「痛くてこっちは笑えないんだけど……」
 指の間から柚葉の涙目がのぞく。晴が慌てて駆け寄る。
「柚葉ちゃん大丈夫!? 鼻血出てない!?」
「大丈夫だけど、鼻っ柱めちゃくちゃ痛い。すんごい痛い」
「保健室行く!?」
「平気……」
 それきり黙ったままの柚葉に晴はますます心配になった。プライドの高い柚葉だから恥ずかしさのあまり泣いているんじゃないかと焦る。晴はうーん、うーん、と何度も唸りながら何とか明るいことを言おうと必死に言葉を紡ぐ。
「でっ、でもさ! すごかったよ柚葉ちゃんのレシーブ! あれ決勝点だったもんね!」
 柚葉は何も言わない。
「それにさっ、すごくない? あんなにきれいにカーブ描いてコートに落ちるなんてさ! それ顔でやっちゃうからすごいよね!」
「……あは、」
 柚葉の手の間から笑い声が漏れた。
「あっははははは!」
 きょとんとする晴、笑い転げる柚葉。笑いながら遊莉が突っ込む。
「なによもー、晴、それフォローになってないって!」
「あっ、あっ、ごめん!」
 真面目に慌てる晴がおかしくてかわいくて、柚葉はまた笑ってしまった。
「いやー、自分でもびっくりだよほんと! 顔面レシーブとか、いや、ギャグかって思った」
 びっくりした、と柚葉は顔をこする。顔を覆っていたのは泣いていたからではなかった。必死で笑うのをこらえていたのだった。散々笑ってから柚葉がつぶやく。
「頭じゃなくてよかった」
「何で?」
 晴と遊莉の問いにだって……と恥ずかしそうに口ごもる柚葉。
「……背縮むじゃん、私ただでさえチビなのに」
 ぷっ、と吹き出す遊莉。
「そんなこと気にしてたの!?」
「気にするよ! だって私百五十センチもないんだよ!?」
「ちっさ!」
「言うな! コンプレックスだから!」
「へー、あんたにもコンプレックスってあるのね」
「何言ってるの、ありまくりだよ、もう!」
 ふくれっ面の柚葉に対し遊莉は心なしか微笑んでいる。何を嬉しそうな顔してるのよ、と言いかけた柚葉に遊莉は言った。
「なんか安心したわ」
「何で?」
「あんたとっつきにくそうだったから」
 は? と首をかしげる柚葉に、遊莉は首をすくめた。
「いろいろ突っついてみたらあんたのことわかるかなーと思ったんだけど。うん、おかげでちょっとわかったかも」
 遊莉の意味深な笑みに柚葉はもしかして、と思う。……もしかして遊莉、最初から私のこと全部わかってたの?
「さーて、さっさと着替えてお昼食べに行こうか」
 照れ隠しのように遊莉はさっさと体育館を後にする。柚葉と晴でそれを追いかけた。
 廊下に三人で横一列に並びながら疲れた体を引きずりつつ、つらつらと歩いていく。体育館は地下なので教室のある五階まで階段を上がっていくのはかなりきつい。
「……ねえ」
 学食前で柚葉が足を止める。視線の先には学食のチラシが貼ってあった。
 ーー七のつく日はケーキデー! カットケーキが全品百円!
 柚葉が晴をつついた。
「今日二七日だよね」
「うん」
 三人で壁のチラシを見上げて、三人でじゅるりと涎をすすった。せーので走り出す。向かうは教室、財布を取りに行く。
「行くしか!」
 うおおおお! と燃え上がる三人。
「早くしないと売り切れる!」
 階段を跳ぶように登っていく。
「必殺・二段飛ばし! とうっ!」
「遊莉それ危ないってば!」
 競うように先を急ぐ遊莉と柚葉。後ろから晴のよく通る声が響く。
「柚葉ちゃん、靴紐ほどけてるよ!」
「サンキュ、あとで結んどく!ーーあとさ、晴!」
「うん?」
 柚葉は振り返って、にへっ、と笑った。
「ゆずでいいよ。ゆずって呼んで」
「……うん!」
 晴は大きくうなずいた。遊莉が最後の一段を上がる。
「さーてたらふく食ってやりますか!」
 おー! と三人で拳を突き上げる。
 その日から柚葉はただの「ゆず」になった。

 

第3話「トップノート」につづく