かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第3話「トップノート」2

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 初めの一週間、女子高生の間で密かに西田が話題になった。西田先生ってイケメンじゃない? という話だ。

  確かにそれは一理ある、と柚葉は他の子達がしゃべっているのを聞きながら思う。目つき悪いとは言ったがよく見ると切れ長で大きな目をしているし、肌だってうらやましいぐらいに白くて綺麗だ。手も細くて長くてすらっとしている。あの儚そうなところがいい、とか、アンニュイなところがいい、とか、静かにそう西田はもてはやされていた。
 しかし、それははじめの一週間だけだった。
「西田さんってさ……」
 そう誰かが口にするとき、その先は様々だ。
 愛想がない、ボソボソ喋るから聞きづらい、暗い、寝癖がひどい、身なりを気にしない、眠そう、やる気無さそう、見てると折れそう、などなど。聞けば聞くほどとにかくたくさんの残念な感想しか出てこない。切れ長で大きな目はやっぱり目つきが悪いし、白い肌はなんとなく不健康な気がするし、細い体も頼りない。
 それより何より西田には愛想がなかった。にこりともしない。いつも真面目に淡々と授業をし、理解が難しそうだと少しでも感じたら生徒がわかるまで根気強く説明する。悪い人ではないしむしろものすごく優しくていい先生なのだが、本当に誰も西田が笑ったところを見たことがなかった。いつも無表情で無感動な鉄面皮。おまけにいつもの寝癖頭と右に傾いた猫背、そしてあの「そういうの、マジでどうでもいい」の一言がとどめとなって、西田は「イケメン」から「残念」へと完全に降格された。

***

 柚葉の席は窓際の最前列で、いつもそこから西田を観察している。教室に入って来た西田は今日もやはり、よれたワイシャツ、後頭部の寝癖、右に傾いた猫背の三点セットが健在だ。
「西田さーん、これ海外旅行のお土産です! どうぞ!」
 教卓のすぐ前の席、小崎ひろかがチョコの箱を差し出した。親がフランス旅行から帰ってきたそうで、さっきから大きなチョコレートアソートの箱を開けてクラスのみんなに振る舞っていた。柚葉も一粒もらった一人である。
「……?」
 西田は眠そうな目でチョコの箱を見つめ、のろのろと手を伸ばした。
「じゃ、いただきます」
 人差し指と中指で器用にチョコの包みを挟むとワイシャツの胸ポケットにそっとしまった。あ、この人も「ありがとう」を言わい人なのか、と柚葉は少し驚いた。西田が訊ねる。
「海外旅行?」
「はい」
 西田がこうやって誰かに質問するのは珍しい。というか、授業以外にしゃべっているところはまだ誰も見たことがなかった。クラス中が興味深そうになりゆきを見守っていた。
「どこ行ったの?」
「フランス!」
「ふーん」
 沈黙。え、それだけなの? と柚葉はずっこけた。他にも「フランスのどこ行ったの?」とか「何見てきたの?」とか社交辞令で一通り訊くべきことはたくさんあるはずなのに、会話はここで終了。えー!
 そもそも、教室に入ってきて一分もたたずに授業なんてさせてやるものか。どんな教師でも授業のはじめの五分はどうでもいい雑談から始めるものだ、と生徒はみんな思っているし、先生もそう思っている。生徒はなるべく授業なんて受けたくないし、先生はそうでもしないと生徒が話を聞かないことを知っているからだ。だから授業は基本「雑談→前回の復習→今日の授業→今日のまとめ→次回の導入」というスタイルになるはずなのに、西田はそれを完全に無視して教科書を開き始めた。ひろかが慌てて言った。
「せ、先生は旅行行ったりしないんですかっ?」
「旅行?」
 西田の手が止まる。ふーっ、と安堵のため息が教室に溢れた。西田はしばらく考えてから呟くように言った。
「旅行……あ、下灘駅
 聞きなれない言葉にクラス中がきょとんとした。
「最近ネットで知ったんだけどね。アイスのCMとか電車のCMとかでよくポスターになってるらしい。電車降りたら目の前がすぐ海で、写真で見たらすごくきれいだった。夕日の名所なんだ」
  西田がこうして自分のことを話すのはこれが初めてだった。ためしに柚葉も訊いてみる。
「下灘駅ってどこですか?」
「さあ、知らん」
 返事は相変わらずそっけない。
「山口とか中国地方のどっかだったような……」
 後ろの席の子がスマホ片手に言った。
「西田さーん、香川県だってー」
 ぜんぜん違うじゃん、と心の中で突っ込んだのが柚葉の顔に出たらしい。西田は自虐的に笑う。
「香川……香川なんてアメリカに割譲されちゃえばいいんだよ。大阪より西はみんな九州でいいんだよ」
「ちょっと西田さん何言ってんですか! 香川県民に失礼ですよそれ!」
「ええー、だって日本地図って大阪過ぎると何が何県かさっぱりわからないじゃないか」
「あなたそれでも大人ですかっ!?」
 真面目に吠える柚葉なんかどこ吹く風で、西田はめんどくさそうな顔で優雅に聞いてないふり。ひろかが訊ねた。
「いつか彼女と行く予定ありますか、下灘駅
 そうニヤリと笑うひろか。西田は動揺することなくクールな一瞥をひろかに投げる。
「別に。そもそも旅行興味ないし。家から出たくない」
「は?」
 さすがのひろかもぽかんとした。家から出たくない? それって教師じゃなくてニートの発言じゃない?
 そしてとどめの一言。
「めんどくさい」
「はあ!?」
 クラス中が呆気にとられた。それを西田が見逃すわけがなく、ささっと教科書を開きカツカツと黒板に図と式を書き始める。
「えーっと、前回は21ページまで行ったんだっけ。今日から円順列なんだけど……」
 ガチャガチャとあわただしくペンケースをあさる音。こうしていつも柚葉たちは授業の阻止に失敗する。
 顔はイケメンなのに言ってることとやってることは無気力で残念、でもそれがどこまで素なのかはわからない。若いのに切れ者で、飾り気がなくて、いつもふらふらしてるのにやることはやっていて――一体こいつは何なんだ。
 むう、と柚葉は唸る。わからない。さっぱりわからない。柚葉にとって大抵の人間は「好き」か「嫌い」で分けることができる。興味がないならそもそも意識に上らない。でも西田は違う。非常に気になる。好きなのか嫌いなのかすらわからない。だからますます気になる。
 どんな人にもその人そのものを表す端的な行動がある。ああ、この人こういう人か、と、人間性が垣間見える一瞬というものがあるはずだ。それが西田さんにはない、と柚葉は思う。語る言葉はいつだって数学の事だけ。自分のことは話さない。誰からも対等に距離を取り、拒まないようでいて、誰も近づけさせない。流されているようで流れを読み、なにも見ていないようで先の先を冷静に読んでいる。そういう距離感が柚葉にはとても不思議だった。他と違う香りがする。ーーあの日すれ違った時のように。
 知りたい、と柚葉は思う。なぜ、と柚葉は自問する。
 なんでこの人はこうもおかしくて、なんで私はこうも気になるの?

***

 教室に西田が入ってくるなり、柚葉は突っ込まずにいられなかった。
「に、西田さん、どうしたんですか!?」
「んぇ……?」
 完全に声が寝ぼけている。しまりがない――のはいつものことだが、今日は特にひどかった。
「何て言うかこう、顔は夜勤明けで寝不足です! みたいな感じだし、頭は大爆発だし!」
 ぐしゃぐしゃの頭をさらにぐしゃぐしゃにかき混ぜながら西田は答える。
「あー……寝不足はそうかも」
「そんな遅くまで何やってたんですか!」
 西田はうーん、と首をかしげて、
「……色々?」
「そこ何で疑問形になるの?」
 自分のことでしょ? と柚葉は突っ込まずにいられない。それから生来のおせっかい焼きと鹿児島に移ってからの日頃のストレス(主に遊莉)とで、柚葉は自重するのも忘れてまくし立てた。
「風邪ひきますからちゃんと寝て下さいよね。あと髪の毛! ヤバいですそれは! 何でそうなっちゃったんですか!」
 もしゃもしゃした髪を無理矢理下に引っ張って撫でつけながら、西田は眉間に少しシワを寄せてこう言った。
「……今日雨だから、かな?」
「は?」
 猫っ毛な髪は何度引っ張っても頑固に膨張し、またそれを西田は無理矢理下に引っ張っていた。いつも前髪は神経質に横分けするくせにその手つきは明らかに適当かついい加減だ。
「雨降るとそうなるんですか?」
「そうなんじゃないかなぁ」
「そうなんじゃないかなぁ、って……」
「やるよ」
「はい……」
 西田が黒板に図を描き始める。慌ててノートを開く柚葉たち。今日は西田がちゃんと「やるよ」と言ってくれたからまだいいが、普段はチャイムが鳴ると西田がいつの間にか教室にいて、さしたる合図もなく無言のままいつの間にか授業が始まっているのだ。西田は優しいように見えて授業はスパルタ式だ。やる気のない者はまともにノートが取れないシステムになっている。
 だから数学の苦手な柚葉がいつまでもそうのんきに観察できるわけがなく、いつも授業についていくのが精一杯だ。初めは頑張って聞いていてもだんだん睡魔が襲ってきて、しまった寝落ちした! と飛び起きて周囲を見回すと、たいがい周りも撃沈している。そういう時にふと見る西田の顔はいつも「ショボン(´・ω・`)」の顔に似ている、と柚葉は思う。
 柚葉が寝ぼけまなこでぼんやり西田を見つめていると、西田と目が合った。
「……」
「……」
 ショボン(´・ω・`)の顔だ。
 西田は何か言いたげに少し口を動かしたが、結局何も言わなかった。柚葉は息を吐く。
(ほんと、わけわかんないわこの人……)
 西田が背を向けた瞬間、柚葉のまぶたが落ちた。

 

つづく