かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第3.5話「湯飲み」

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 後日。柚葉はかもめ寮の自室、三〇二号室で晴と一緒に黙々と数学の問題集と格闘していた。このタイプ苦手なんだよなぁ……と思いつつ、柚葉は放課後西田が教えてくれた手順をなぞり少しずつ式を組み立てていく。
(あ、そういえば)
 コツコツとシャーペンのおしりで顎をつつくのは柚葉が考え事をしているときの癖だ。西田先生が淹れてくれたお茶、美味しかったな。柚葉は思い出して少し笑う。もう一回飲みたいぐらいだ。お願いしたら飲ませて……くれないだろうな。絶対無理だ。
 再びシャーペンを走らせながら柚葉は気づいた。そもそもあの湯飲み、誰の湯飲みだったんだろう。誰か素人が作ったような手作りっぽかったから備品ってわけじゃなさそうだったけど。そもそも教員はみんなマイカップ持参だからそうか、あれは多分――
「……」
 柚葉のシャーペンが止まった。
 西田さんのマイカップってことはそれを西田さんは日常的に使ってるわけでそれに口をつけるわけでつまりそれをうっかり使っちゃった私は間接キ――
 柚葉の手元でシャー芯がバキッと折れた。
「ぬうあああああ!!」
「ゆ、ゆずちゃんどうしたの!?」
 奇声を上げながら顔面を押さえ部屋を転げ回る柚葉。
「うわあ、うわあ、ダメだそれは! ひゃああああ! 間接うわあああ!!」
「ゆずちゃん!? 大丈夫!?」
「大丈夫じゃない!!」
 バン! と突然部屋のドアが開け放たれた。その先には仁王立ちの遊莉。
「黙らんかあああッ!!」
 その一喝にさすがの柚葉も黙る。
「ひとがせっかく集中して勉強してるのを邪魔すんなこのど阿呆! 夜中に大声出すな!」
「……」
 遊莉、声ちっちゃく! と晴が申し訳なさそうにジェスチャーする。遊莉は「わり」と一言つぶやいてそのままさっさと自室に戻っていった。階下の先輩たちがこちらに向かっている足音が聞こえたからだ。
 そんなことにも気づかず柚葉は一人思案顔だ。というかそもそも遊莉に怒られたのも聞いていなかったようだ。床に座ったまま腕を組み、「うん」と納得したようにうなずいた。
「……明日詫びてこよう。そうしよう」
「?」
 それからすぐに寮長の塩見が部屋にやってきて、「夜はみんな勉強してると思うから、静かに、ね?」とふんわりした笑顔で怒られた晴と柚葉であった。
 遊莉は隣の三〇一号室で何食わぬ顔のままウォークマンを聴いていた。

***

 翌日の放課後、数学科準備室のドアがそーっと開いた。ドアの間から柚葉の頭が出る。柚葉は西田がいるのを見つけると、何かから隠れるように西田の席へ。
「あの……西田さん」
「うん?」
 柚葉は顔を真っ赤にしながらおずおずと切り出した。
「こ、こないだ一杯お茶いただいたあれなんですけど……」
「ん?――ああ、あれ。それが何?」
「えーと……勝手に湯飲み使ってすみませんでした……」
 ぺこりと頭を下げる柚葉に西田は軽く肩をすくめた。
「いいよ別に。誰も気にしてないし」
「いやでも! あれ西田さんのじゃないですか! ほら、ひとに自分の歯ブラシ使われるのと同じで自分の湯飲み使われるの嫌だったりしないかなって私心配で心配で!」
 必死の柚葉を西田は首をかしげたまま何の表情もなく見ていた。見つめあうこと三秒。
「あれ俺のじゃないよ?」
「へ?」
「君島さんの」
 おもむろに備え付けの台所を西田は指さした。
「ちょうどそこの台所に洗って干してあったから使わせてもらった」
 席から立ち上がり、これでしょ? と君島の机から湯飲みを持ってくる西田。
「これ君島さんが旅行先で作ったらしいよ。上手いよね」
「そう……ですね……?」
 慌てて柚葉は言葉をつなぐ。
「西田さんのは?」
「俺? 俺のコップこれだし」
 西田は机の片隅に置かれたプラスチックタンブラーを指先で叩く。何かの粗品でもらったような、安いやつを。
「いっぱい入って便利」
「……」
 柚葉の脳裏に君島のつるっと禿げた頭と柔和なニコニコ顔が浮かぶ。その先は何も思うまい、思うまい、と柚葉はひたすらに念じた。
「真島さん?」
 どうかした? と首をわずかにかしげる西田に柚葉はぶんぶん首を振った。
「……何でもないです帰ります」
 柚葉はくるっときびすを返すと全速力で数学科準備室を出ていった。
 それから柚葉はかもめ寮に帰って何度も入念にうがいをして、「今度はどうしたの?」といぶかしむ晴に「禊(みそぎ)よ」と言って風呂場に直行。湯船から上がり髪を乾かし終わると、そのままベッドに飛び込みふて寝したのだった。

おわり