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かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第5話「ややこしい二人」1

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「……」
 一限が終わるなり、柚葉はふらりと晴の席の後ろに立つと、無言で晴の肩を掴んだ。晴が「ひゃわっ!?」と飛び上がる。
「わ、びっくりした……ゆず、どうしたの?」

 「……」
 振り返って見ると柚葉は微妙な顔をしている。よほど言いにくいことらしい。 
 しばらく黙っていると、柚葉はおもむろに口を開いた。
「……私、見ちゃったんだけど」
 面白そうな匂いを嗅ぎつけたのか、遊莉がやってくる。
「何、幽霊?」
 そして晴の隣の席を陣取った。
 柚葉は晴と遊莉の顔を順番に見比べると、小声でそっと囁いた。
「榎さんと西田さんって……デキてるかもしれない……」
 二秒ほど沈黙があった。
「えっと……」
 口ごもる晴に遊莉が続ける。
「いわゆるホモ?」
「うん……」
「えー嘘だー」
 晴が豪快に笑い飛ばす。
「だって榎さんは妻子持ちだよ?」
「晴、あんた甘いわね」
 柚葉は一気にまくし立てた。
「いい? 本物のゲイはね、自分がゲイであることを隠すためにあえて所帯を持って社会的なカモフラージュをするって話よ? ついでに言うと現在榎さんの子供は生まれたばっかりつまり奥さんは息子にかかりきりで自分にかまってくれない! そういうときほど男の浮気率は上昇し他の女にいや男に走るのだよ!」
 ぽかんとする晴に呆れ顔の遊莉。
「あんた妄想力たくましすぎよ。もしかして腐女子?」
「ノーコメント」
 さらに突っ込みたそうな顔の遊莉より先に晴が言った。
「どうして西田センセがそういう話になったの?」
 柚葉が机をバン! と叩く。
「聞いてよ! それがね!」

***

 元来読書好きな柚葉は遊莉や晴と打ち解けるようになっても図書室通いがやめられなかった。特に最近はそれがエスカレートして、ついに朝から図書室に行くようになってしまったのだ。司書の榎が図書室の鍵をを開けるや否や「おはよーございまーす!」と飛び込んでくるし、日によっては榎が来るより前に図書室のドアの前で待っている時すらあった。ついには幽霊のように音も立てずにそーっと図書室に入ってきては気まぐれに突然榎の後ろに立って驚かせるなんていうイタズラもした。そんなことをするのは全生徒中もちろん柚葉だけである。
 朝の図書室は薄暗く、静謐な空気に満ちている。書架の間にじっと立っていると少し湿気を帯びたページの臭いが微かに漂ってくるし、細かい紙の繊維やほこりたちも棚の表面で静かに眠っている。柚葉はその昼とは全く違うこの特別な空気が気に入っていたし、朝っぱらから図書室を独り占めして本に囲まれ「知的な」興奮にウハウハするのがたまらなく好きだった。
 そこにある朝突然自分以外の来客が来たのだから、柚葉はびっくりして書架の間に隠れた。本と本との隙間から様子をうかがうと、なんとやって来たのは西田先生だった。
 西田は何食わぬ顔でまっすぐ貸し出しカウンターに進み、誰もいないカウンターに本を数冊そっと置いた。
「……ありがとうございました」
 どうやら西田もここで本を借りていたようだった。何を借りてたんだろう、と書架の間から目を凝らす柚葉。外山滋比古の「思考の整理学」とゲオルギストの「物理の散歩道」が見えた。
(なんだ、ただのマジメじゃん)
 拍子抜けする柚葉。人の気配に気づいた榎が隣の準備室からやって来る。
「あー、そこ置いといて」
「……ん」
 榎がメガネを拭きながらカウンターの中に入る。
「もう二冊も読んだのか。あ、次に何か読みたいのある? 新刊あるけど」
「いい」
 西田は「それじゃ」と背を向け出口に向かう。榎は返却手続きをしながらその背中に呼びかけた。
ブルーバックスの新刊は?」
「いい」
円城塔は?」
 西田の足がぴたっと止まり、ゆっくり振り返る。
「……いる」
「了解」
 榎は新着図書の棚から一冊引き抜くと手際よく貸出スタンプを押した。そして、榎はジャケットのポケットから小さなメモを取り出すと、返却予定日の記された栞と一緒に本に挟んで渡した。
(何あれ)
 西田が少しむっとした顔になる。榎はクスクス笑っていた。
 そして、西田は本を手に取りそのまますたすたと図書室を出ていったのだった。

 

「ねえ、もだもだしない?」
「何が?」
 反応の薄い晴に「もー!」とじたばたする柚葉。
「何が? って、晴はこれ怪しいと思わないの? わざわざ朝に来るなんて変だよ、よっぽど人目につきたくないってことだと思うんだけど?」
「そうかな? 西田センセ忙しいから朝ぐらいしか図書室に行く時間ないのかも」
「だとしてもこの仲の良さ、距離感! 何か怪しいと思わない!?」
「そうかなぁ……」
 懐疑的な晴とは対照に、遊莉は腕を組んで神妙な顔をしている。
「現場見てないから何とも言えないけど」
 遊莉はそう前置きしてから言った。
「私はそのメモ気になるわね。どうする?『今夜8時に……』とか書いてあったら」
「ぎゃーーーー!!」
 予想通り悶絶する柚葉に遊莉はケラケラ笑っている。
「でもたしかにゆずの言う通り、何か仲良さそうよね、あの二人」
「でしょ!?遊莉もそう思うよね!」
「でもさあ、さすがにそういうのじゃないとは思うよ?」
 柚葉はもったいぶった動作で「ちっちっち」と二人に指を振った。
「今日は決定的瞬間を見ちゃったのよ」
「ほう」
 遊莉が身を乗り出す。
「今朝ついに西田さんが榎さんに呼ばれて図書準備室に入っていくの見ちゃったの」
 晴が言う。
「図書準備室って、いつもエノキダケが入室禁止だって言い張ってる資料室?」
「そうそう。よくあたしたちが覗いてると怒られるあそこ。古書とか入ってるから生徒は入室禁止って言うわりにはいつも鍵かけ忘れてる所なんだけど」
 エノキダケとは榎のあだ名だ。背が高くひょろっとしているのとその名字から「エノキダケ」と言われているのだ。一部の生徒からは「性格が悪い」「陰険」とのことで「毒キノコ」とも言われている。
 でね、と柚葉は声をひそめた。
「あの図書準備室に西田さんが入ったとたん、エノキダケのやつすぐ扉閉めて鍵かけやがったわ」
「えーーーーーー!?」
「しかも西田さんのこと呼ぶ時、あのエノキダケ、『ヨシ、ちょっとこっち来い』って……」
「えーーーーーー!?」
 口をあんぐり開ける二人の前で、柚葉は頭を抱えた。
「何なのよあの二人!? 西田さんのことをヨシって呼ぶような仲なの!? 接点ないじゃん! いつそんな仲良くなんのよ一介の数学教師と司書が! だって同期でもないよあの二人!?」
 慌てて晴が言う。
「こ、高校とか大学の先輩後輩とか?」
 柚葉は首を横に振った。
「西田さんは海央館大、エノキダケ鹿大。歳は三つ以上離れてるから高校のセンはなし」
 遊莉が顔をひきつらせる。
「あんたってばどこで調べたのそんなもの……」
「このぐらい聞き込みの初歩よ初歩!本人との会話とその周辺との雑談でこのぐらいわかるって!」
「……」
 その執念に絶句する遊莉など気にせず、柚葉は頭をかきむしる。
「にしてもこれは何か変なニオイしかしないよ! これは問題だよね!?」
「う……うん」
「でしょうねぇ」
 微妙な顔の二人。
「あたしだって信じたくないよ! 信じたくないよ西田さんがそんなのなんて!!」
「そーよねー、あんた西田センセのファンだもんね」
 無言のまま遊莉に蹴りを入れる柚葉。遊莉はそれをひょいっとかわし、「あ」と思い出したように手を打った。
「そういやもともとエノキダケの周りはホモの匂いがするって先輩が言ってたし、他にも目撃証言があったわね」
「それ聞いたことあるかも」
 晴が続けた。
「一緒に登校してくるところ何度か見たって先輩がしゃべってたよ。榎さんが西田さんを車に乗せて来たとか……」
「何それ初耳!」
 その様子を脳内再生しているのか柚葉はしばらく固まったままぷるぷる震えていたが、ついに叫び出した。
「確かに西田さん綺麗な人だけどさぁ! 男の人に押し倒されたら肋骨でもぽっきりやりそうな人だけどさぁ! そんなことないと信じるしかないじゃない! 何なのよ! 何なのよもぉぉぉぉぉっ!!」
「恋する乙女は大変ねぇ」
「るっさい! 恋じゃないし!」
「おお、ゆずがキレた」
 柚葉は吠えた。
「私はね、西田さんが生物として徹底的に気になるだけよ!」
「ゆず、それを好きって言うのよ」
「いーや! 違うね! 私の『好き』は『interesting』の好きであって、新種の生物への学術的興味と一緒よ!」
「へーえ?学術的興味ぃ?」
「なによその顔ー!」
 ちょっかいを出してはあひゃひゃひゃひゃ、と意地悪く笑う遊莉と、訝しげな晴。
「でもさあ、ゆず」
 晴は言った。
「別に西田さんがそれでいいならホモでもなんでもいいじゃない?」
「た、たしかにそりゃあそうだけど……」
 柚葉は口ごもったが、すぐにかぶりを振った。
「……やだ、私はやだ!」
「なんで?」
「なんでって、え……」
 晴の純朴な目に見つめられて、柚葉はしどろもどろになった。
「……西田先生はそういう人じゃない、と思う、から」
 遊莉が鼻を鳴らす。
「それは柚葉がそうあってほしいと思ってるだけなんじゃないの?」
「それは……!」
 鋭い指摘に柚葉は詰まる。しばらく間があって、それでもなお柚葉は言い張った。
「……でもやっぱり私、西田先生はそういう人じゃないと思う!」
 やれやれ、と呆れる遊莉。
「だってあの人は万人に対して平等に無関心だから!」
「……あ」
「確かに!」
 そっかぁー! と納得して三人でゲラゲラ笑いながら、心のすみでほっとした柚葉だった。しかしまだ、柚葉は自分のこの焦りの正体に気がついていなかったのだった。

 

つづく