読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第5話「ややこしい二人」2

f:id:orthometapara-komatsu:20160226134451j:plain

 それから数日後の昼休み、また柚葉は図書室で西田を目撃した。西田が入ってきたのに気づくなり、柚葉は図鑑や百科事典の棚の陰にしゃがんで隠れた。幸い室内には柚葉の他に生徒はおらず、榎はカウンターにいなかった。

  ブリタニカ百科事典の陰からそーっと片目だけ出してみる。西田はカウンターに本を置くと、きょろきょろと辺りを見回した。榎を探しているようだ。 
「榎さーん、おーい」 
 返事がない。西田は借りていた本をカウンターに置くと、諦めて出口に向かった。 
 その時書庫の扉が開いて、中から榎が出てきた。 
「おうヨシ、来てたのかー?」 
 明らかに不機嫌そうに西田が振り返る。 
「……」 
「あ、ごめんごめん。西田センセ」 
 わざとらしい「先生」呼び。妙に親しげだ。 
「本置いといてくれてありがとな。何か借りたいのある?」 
「んー……特にない」 
 西田は品定めするようにハヤカワSF文庫の書架を眺めている。 
「あ、そうだ、宮崎駿の本入ったけどどうする?」 
「えっ」 
 西田の目の色が変わった。カウンターに駆け寄る。 
「どれ?」 
「これ」 
 榎が手に取ってみせたのは、大きさからして児童書のようだった。 
「イギリスの児童文学なんだけどね、挿絵が宮崎駿なんだよ。導入とあとがきが書き下ろし漫画でさ。なかなかいいんだよ」 
「それ完全にお前の趣味で入れただろ……」 
「半分はそうだな。でもおすすめ。ジュブナイル物とはちょっと違う。大人向けに近い」 
「へえ」 
 悩ましげな西田先生を見るのもなかなか面白いけどその本も面白そうだな、と柚葉は書架から少し首を伸ばしかけるが、これ以上動くと隠れているのがバレそうなのでじっとこらえる。 
 西田は少し考えてから「うーん」と唸った。 
「確かに面白そうな気はするけど、そういう子供向けっぽいやつをさすがにこの歳で読むのはやっぱちょっと……ねえ? あんま人に見られたくないっていうか」 
「読みたくない?」 
「う……」 
「ヨシなら一日で読めそうだからさ、明日の朝返してくれたら新書として生徒に回すよ。それでどう?」 
「……了解」 
 よし、と榎はひとつうなずくと貸出の判子を奥付けに押した。返却予定日の書かれた栞を挟むと、榎が思い出したようにポケットからがさがさ紙片を取り出した。 
「そうそう、こないだのこれ、答えわかんなかった」 
 榎の差し出す紙片を見て西田は言う。 
「……イタチ」 
「えー?俺犬だと思ってた」 
「イタチだよ」 
「イタチかよー、わっかんねーな。せめて描くならわかりやすくNARUTOのイタチにしろよ」 
「無理」 
 榎から本を受けとった西田はふてくされたように呟いた。 
「だってトモだって絵下手じゃん。……あ、しまった」 
「お前も言ってるし。俺がヨシって呼ぶと怒るくせに」 
「うるさいなー」 
 くすくす笑う二人を書架の間から見て柚葉は呆然とした。ヨシ? トモ!? 何なのこの距離感は。 
 西田が図書室から出ていくと、榎は貸出カウンターのデスクトップから隣の自分の机に移り、柚葉に背を向けるような形で榎専用ノートパソコンを開いた。カウンターから90度横に位置する榎の机はちょうど本棚の陰になっていて、さらに左右に得体の知れない書類や新聞、書架から外された本が山積みになって目隠しのようになっていた。榎は熱心に何か調べ物を始めたようだった。考え事をしているのか、ぶつぶつと何か呟いたり唸ったりしながらキーを叩いている。 
 柚葉はちらっと腕時計を見た。始業5分前。そして柚葉は自分のいる場所を見、扉が開けっ放しの出口を見、榎を見た。榎はこちらに気づいていないようだ。振り返る気配もない。 
 柚葉はローファーを脱ぎ両手に持った。そして呼吸を整えると、身を屈めて一気に出口まで走り抜けた。靴下のまま、音もなく図書室を脱出。しかも出口で鋭角カーブが決まった。榎の視角に全く映らないエクセレントなカーブだった。 
 廊下に出た瞬間、アドレナリンが柚葉の脳で弾けた。やった!完全にバレなかった!気分はソリッド・スネーク。 
 と、油断したのがいけなかった。 
 靴下で廊下を走ると摩擦が少ないので足音もほとんどなく早く走れるが、スピードが出すぎてブレーキがかけにくい。 
 案の定ブレーキに失敗した柚葉は派手にすっ転んで廊下の端までドリフトしていった。 
 廊下から聞こえる誰かの悲鳴に榎はキーボードから顔を上げると、そういやさっきドア閉め忘れたな、と席を立ち、図書室のドアをバタンと閉めた。

***

 翌日の昼休み、柚葉はいつものように一人で図書室に現れた。おでこをさすりながら。 

「よ、真島ちゃん。おでこどうしたの?」
「ぶつけました……」
 カウンターの榎に仏頂面で答えると、柚葉はブルーバックスの棚にまっすぐ向かっていった。西田がよく借りるから、一体どんなものを読んでいるのか気になったのだ。
最新のものから古いものまでずらりと並ぶその棚は、見慣れた文庫本や文芸書とは全く違う雰囲気があった。科学、生物学、物理学――そして数学。アカデミックなタイトルの背表紙たちに柚葉は「うげぇ……」と辟易しつつ、目はせわしなく西田が借りていそうなタイトルを探していた。
 たしかいつも誰も借りていなさそうな古いブルーバックスだったな、と思い出しためしにひとつを手に取った。「暗号の数理」。
 すっかり日に焼けたページをぱらぱらとめくる。ハチのダンスからはじまって古代文字の解読、公開暗号鍵……ぱっと見難しそうだが頑張れば読めるかも、と思うことにして柚葉はそっと棚にしまった。
 次に取ったのは「日曜日の物理学」。タイトルがいかにも西田の好きそうな感じがしたし、そこだけ棚のホコリのつもり方が違ったのだ。指のあとだと直感した。こういうときだけ無駄に洞察力の高い柚葉である。
 これも同じようにめくってみる。楽器の音はどうして出るのか、カメラのしくみ……ここまではなんとか退屈しないで読めそうだったが、車の話になったあたりから「あ、私物理わからん」と匙を投げた。
 ほこりっぽい本ばかりめくっていたせいで柚葉は鼻がむずむずしてきた。ついに耐えられなくなって「へくしょい!」とくしゃみした時、本の間からはらりと何か紙片が落ちた。
「……何これ」
 拾い上げてみると、貸出の際に受け取る返却予定日の記入された栞だった。しかも日付は最近のだ。
 裏に何か描いてあるようで、ひっくり返してみるとそこには奇妙な落書きがあった。幼稚園児が描いたような何か。「何か」としか言いようがない。多分四つ足の生き物の一種。哺乳類……だろうか。三角の耳が生えていて、左右非対称にヒゲが生えている。
柚葉は本をしまうと栞をカウンターに持っていった。
「榎さん、これ……」
「あー、あはは、回収し忘れてたか。ありがとね」
 榎は柚葉からそれを取ると、無造作にジャケットのポケットに突っ込んだ。その様子にピンと来た柚葉はわざと素知らぬふりをして訊いてみた。
「今の、なんかヘンテコなものが描いてあったんですけど、呪いのナントカみたいのだったらどうしよう」
「あはは、それはないな」
「あれ何なんでしょうかね?」
 柚葉の目がきらりと光る。榎はそれに気づかないまま答えた。
「うーんと……猫」
「どこが!?」
 榎はもう一度ジャケットから紙片を取り出し、むくれながら指差した。
「ここが耳で、これしっぽ」
「猫の耳はこんなとこにこんな風に生えてないですよ、手だって長くないし。これサルですよむしろ」
「猫なんだよ」
 子供のように言い張る榎を見て柚葉はまさかと思う。
「……まさか榎さんが描いたんじゃないですよね?」
 榎の表情が固まった。言葉より雄弁な返答に唖然とする柚葉。口に出せたのはたった一言、
「何で?」
 榎は言葉を探すようにうなってから言った。
「西田先生と俺、絵しりとりしてんの」
「……はい?」
 一瞬何を言われたかわからなかった。あっけらかんとした口調で榎は続ける。
「みんなが授業中俺図書室にぼっちで暇だからさー、暇だ暇だ言ってたらしりとりでもするかって話になって」
 いや、ならないだろ普通。
「俺もあいつもお互い絵が下手で気にしてたから、一緒に描けば一緒に上手くなるかなーって」
 柚葉は榎の描いた「猫」を見つめた。
「これだけ下手すぎるともはやしりとりが成立してないのでは……」
「だから時々間違える。こないだなんか犬だと思ったらイタチだった」
「!」
 ようやく柚葉の中で昨日の会話が繋がった。
「てことは榎さん、西田センセの絵持ってますよね!?」
「んぇ? ああ――」
「めっちゃ見たいです!」
「だめ」
 榎は真顔で即答した。
「何でですか!」
「俺より悲惨だからだ」
「何ですかそれ! ますます気になる!」
「だめ、あいつ絶対傷つく」
 その後も柚葉は何度となく食らいかかったが榎は頑として譲らなかった。
 チャイムの音を背に廊下を歩きながら、柚葉は思う。絵しりとりやろうぜ! と子供みたいなノリでやりあえる仲。西田先生のことを「あいつ」「ヨシ」と呼べる仲。西田先生の名誉のために真顔で「だめ」と言える仲。
 この二人、絶対に何かある……
 ――その時たまたまトイレから帰ってきた遊莉が柚葉とすれ違ったのだが、柚葉は「声をかけるのをやめようと思うぐらいヤバい顔をしていた」と後に思い出すほどの顔をしていたのだった……

 

つづく