読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第5話「ややこしい二人」3

f:id:orthometapara-komatsu:20160226134451j:plain

 今日も今日とて柚葉は早起きして一人、乙女坂を上っていた。柚葉が早起きをするようになってから四日。全ては図書室に一番乗りして張り込みするためである。気になったらとことんの柚葉に遊莉と晴は「乙女の狂気」とでも言うべき何かを感じて、柚葉のさせるがままにしていた。というか、関わったらやばそうなので何も言えなかったのである。 今までほぼ毎日三人揃って食堂で朝ごはんを食べていたはずなのだが、柚葉が張り込みを始めてからというもの、食堂には遊莉と晴の二人きりである。

  朝の食堂は恐ろしく殺伐とし、静かだった。柚葉は真面目で頑固なだけだと思っていたら、あんなぶっ飛び方をするなんて……と、遊莉はおののいた。さらに、あの能天気な晴が心底困惑した顔で「恋ってなに……」と突然呟くものだから遊莉は仰天した。あの晴が鬱になっている! 

 普段は「恋も愛もよくわかんないけど、毎日楽しいからそれでいいや!」とでも言うように明るくポジティブな晴だったが、晴はその素朴さと純粋さゆえに案外傷つきやすいのだ。晴の弱点を知って遊莉は思う。この子は人を妬んだり憎んだり執着したり、そういう感情を全く持たない。だからこそ底抜けに明るく、どんな状況に置かれても強い。でも、人の黒い部分を知らないということはそういった感情を持つ人を理解できないということでもあって、彼女にとってはそれが辛いのかもしれない。晴には清いままでいて欲しいけど、それって諸刃の剣なのかも――それほどまでに柚葉の暴走っぷりは二人に大きな影響を与えていたのである。 

 しかし、当の柚葉本人はそんなことは全く知らない上に、そもそも自分が「恋をしている」という自覚がこれっぽっちもなかったのだった。

 事実、この時柚葉を動かしていた感情は恋ではなくて、ただ純粋に「本当のことを知りたい」という気持ちだけだった。

 柚葉にはどうも西田に同性愛志向があるようには思えなかった。直感的に。西田先生はそうじゃない。これに関しては自分の直感に絶対の自信を持って「ない」と言えるのだった。日頃の人への接し方、物の扱い方、本の嗜好、そこから読める思考回路。誰からも平等に距離を取ろうとする西田が、誰かに対して愛情を感じることはおろか誰か特定の人に特別な関心を持つとは考えられなかった。「平等に無関心」の西田なのだから。でも明らかに人目を避けている。

 自分の直感は正しいと思う。でも根拠はない。もしかすると間違っているかもしれない。だったらやることは一つ。調べるのだ。

 調べるにも手段は限られている。警察の捜査よろしく私物を漁るわけにはいかない。やれることはせいぜい日常の観察ぐらい。ならば、榎に張りついて西田との絡みの一挙手一投足を観察し、小さな観察と証拠の積み重ねで理論を組み立てる。もしくは決定的瞬間を目撃する。それしかない。西田が榎と直接接点を持てるのは授業時間外のみ

 朝、休み時間、放課後図書室が閉まるまで。人目を避けているようだから、二人が一番接触する可能性が高いのは朝か放課後遅くだろう。見逃すわけにはいかない……!

 ……と、柚葉は(柚葉の主観からしてみれば)ものすごく合理的かつ、単純でメカニカルな仕組みで動いていた。明らかに出発点がおかしい上に真面目と頑固のベクトルが間違っているのだが、もちろん柚葉がそれに気がつくわけもなかった。柚葉はただ、納得したかったのである。自分が納得できる、反論の余地のない合理的な理由が欲しかったのである。「知りたい」。ただそれだけだった。

 しかし暴走する柚葉も、やはり乙女なのである。

***

 女子高に続く乙女坂は大人でも音を上げる急勾配だ。上るには筋肉と体力がいる。入学時には白百合のような清楚な乙女も卒業式のころには必ず大根足になっている。だから生徒たちはこの坂を「大根坂」と呼んでいる。

 普段なら晴と遊莉とでケラケラ笑いながら上る坂も、一人で黙々と上ってみると結構きつい。ふうふう言いながら進んでいると、前方に西田の背中を見つけた。

 さあっ、と体温がわずかに上がる。頑張れば追いつける距離。

 声をかける、かけない、かける、かけない……秒針のように揺れる思考と共に、心拍音と歩調が一緒になってスピードアップする。どうやって声をかけるのが自然だろう。スタンダードに「おはようございます」?急に声をかけたらびっくりされないだろうか。それに運動部でもないのにこんな朝早くから登校するなんて怪しまれる。……もうすでに方々から不信がられているのだが柚葉にはそんなことに気づく余裕はない。柚葉の目にはたった一つしか見えていない。あの傾いた背中が、西田の背中が近づきつつある。心臓がうるさい。

 柚葉はカラカラになった口をわずかに開いた。こめかみににじわっと汗が吹き出すのがわかる。柚葉は思い切ってようやく声に出した。

「に、西田さんっ!」

 その時、柚葉を追い抜くように後ろからすーっと車が出てきて、西田の隣で止まった。ウィンドウが下がる。

「おはよ」

 車の中から聞こえる声は紛れもなく榎のそれだった。

「乗ってく?」

「……」

 西田はこく、とうなずくと柚葉に気づくことなく無言で車のドアを開け、乗り込み、ドアをバタンと閉めた。そして榎の車は少々荒っぽいエンジン音を立てながら走り去っていってしまった。
柚葉はそのナンバープレートを穴が開くほど見つめたまま、呆然と坂道に立ち尽くしていた。

***

「ゆずー、物理のノート貸し……ひっ!」

 遊莉は柚葉を見るなり飛びすさった。机に突っ伏す柚葉からはただならぬ負の気配が拡散していた。遊莉はそーっと様子を窺いながら晴の席へと避難する。

「晴、なにあれ……ゆずの背後からずーんとブラックホールみたいな時空の歪みを感じるんだけど……」

「う、うん。さっきゆずちゃんから聞いたんだけど、なんかね、」

 ひそひそ、と囁く晴。全てを聞いた遊莉は「げっ」と顔をしかめた。

「それ完全にやっちゃったわね、ゆず」

 その声に柚葉がゆらりと身を起こした。

「ううう……」

「わっ、なんかやばそうなの召喚したっ!晴!あんたの力でお祓いして!」

「え?」

 そして柚葉は頭を抱えた。

「西田先生が榎さんと……ううう」

「あたしのボケにゆずが突っ込みもしないわ! これ重症よ!」

 柚葉は一人でぶつぶつ言っている。

「いやでも……西田先生が……そんな……」

「全然こっちの声聞こえてないじゃない。完全に意識があっちに飛んでるわ」

「柚葉ちゃーん、おーい」

 晴が呼びかけても柚葉は自分の殻にこもっていて気がつかない。

「ゆずちゃん、急がないと次の授業体育だよ!……だめか。ゆずちゃん元気出して、今日食堂にケーキ出てるよ!……反応ないなぁ」

仕方ないわね、と遊莉はひとつため息をつくと、ドスの効いた声で一言言い放った。

「おい、そこの貧乳」

「誰が貧乳だ!!」

「やっとこっち向いたわね、柚葉」

 遊莉は居ずまいを正すと真面目な顔で柚葉に言った。

「あんたそろそろいい加減にしなさいよ」

「何がよ」

「西田先生のことよ。いくらなんでもやり過ぎだし、悩みすぎ。何で放っておけないの?」

「いや、だって気になるじゃない。気になりすぎて死にそうよ」 

「あんたが西田先生のことが好きなのはわかるけど、さすがにこれはヤバすぎよ!」 

「は?」

 キョトンとする柚葉。その顔を見て遊莉も唖然とする。

「まさか……あんた今まで自分で気づいてなかったんじゃないでしょうね?」

「ちがっ……!」

 そう言いながら柚葉は耳まで赤くなっていた。

「ぜんっぜん違うから!! だってさ、西田先生みたいなあんな不思議生命体、好きとか嫌いとかの前に気になるでしょその生態が! 私はただ腑に落ちないだけ、西田先生は誰にも興味がないはずなのに榎さんとだけ特別仲がいいなんてありえない、何か他の理由があるはずだもん!」

「じゃあ聞けばいいんじゃない?」

 まくし立てる柚葉を遮ったのは、晴だった。

「西田先生に聞いてみようよ」

「晴、それよ!」

「無理無理無理!」

 柚葉は顔の前で手をぶんぶん振る。

「そんな失礼なこと恥ずかしくて聞けない……!」

 その瞬間、ブチッ、と遊莉の堪忍袋の緒が切れた。

「あのね! こんだけやっといて失礼もクソもあるかってーの! あんた、ほとんどストーカーみたいなことしてんのよ!」

「違うもん! 私は――」

「せがらしかっ!!」

遊莉の怒号に柚葉もさすがに黙るしかなかった。

「明日の朝、二人とも捕まえて尋問よ!いいわね!」

 そうぴしゃりと言い放つと、遊莉は物理のノートも忘れて自分の席に戻っていった。

 一方の晴は、

「やったねゆずちゃん、明日で西田先生の謎が解明されるよ!」

 遊莉の怒号などまるでなかったかのように、そうにこにこ笑うのだった……

つづく