かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第5話「ややこしい二人」4

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 西田がいつものように大根坂を上っていると、後ろからいつものエンジン音が聞こえてきた。車は西田の隣でぴたっと止まり、ウィンドウが下がる。

「おはよ。乗る?」 

「やだ」

「疲れるだろ、大根坂は。乗れよ」 

「……」

 西田はいつもの鉄面皮で後部座席に乗り込んだ。走り出す車。カーラジオからはやくしまるえつこの「X次元へようこそ」が流れている。 

「何でそう意地張るかなぁ」 

「遅めの反抗期だ」 

「言うねぇ」 

 西田は何も言わなかった。 

 そもそも、西田は榎に――由博は友紀に引け目を感じていた。由博に海央館の数学科教員の席を紹介してくれたのは兄、友紀だったからだ。

 理工学部の中で数学科というだけで就職先はかなり狭まっている。さらに、大学院となると専門性の高い研究職。自分の分野の求人はなかなかない。だからといって研究者になるのはさらに至難のわざである。教授や研究者の席はもっとない。だから、純粋に本当の研究者になれるのはほんの一握り――いわゆるポスドクである。

 JAXAの採用に落ち途方に暮れていた由博に友紀は「俺んとこで先生やらないか?」と声をかけた。友紀は知っていた。感情を表に出さずとも、数学を捨てて会社勤めをするか、もう一度自分に賭けるかの狭間で心がズタズタに裂かれそうなことを。弟がまだ研究者としての道を捨てたくないことを。

 こうして由博は海央館の教師になった。でも由博も知っているのだ。自分のために兄が方々駆け回ったことを。自分が知ったら傷つくだろうとそんなことは思っておくびにも出さないが、たとえ非常勤であろうと席を一つ確保するのはとんでもないことである。一つ空席ができるということは、一人出ていくということだからだ。出ていったのか、追い出したのかは知らない。教員になって三年たつが、そのことは怖くて未だに聞けない。そんな残酷な役回りを自分は友紀にさせたのかもしれないと思うと由博は申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになるのだった。だからこそ、そのことについては知らないふりを貫き通した。そして、友紀とは他人のふりをし続けた。コネで入ったとそしられたくないから。自分は実力でここにいるのだと言いたいから。――自分に対して。何より、もう誰にも頼りたくなかった。俺は一人で平気なんだと。それが友紀に対して距離を置く理由だった。

「お前も車買えばいいのに」

 バックミラー越しに榎が言う。

「……まだせいぜい自転車だな」

「大根坂どうやって上るんだ」

「あ、そっか」

 くくく、と笑いを堪える榎、むすっとする西田。

「そういえば、しりとり続き待ってるんだけど、まだ?」

 西田が投げやりに言った。

「超大作なんだよ」

「マジか」

「あ」

 急に声を上げたのでバックミラー越しに見ると、西田は激しく落胆した様子だった。

「どうした?」

金平糖家に忘れた……」

「相変わらず金平糖好きだなお前」

 小学生の時から変わってないな、と思い出して榎が笑うと、西田もふっと口元を緩めて笑っていた。

車の中の七分間だけが、二人が兄弟に戻れる時間だった。

***

「じゃ、俺車庫入れすっから先降りて」

「うん。ありがと」

 榎の車から降りる西田。その様子を駐輪場の植え込みの影からじーっと見つめる目が六つ。

「……見た?」

「見た。」

「見た!」

 ものすごく機嫌の悪い柚葉と、神経質に様子を窺う遊莉、やる気満々の晴。三人はうなずきあうと、晴だけ立ち上がって植え込みから出ていった。西田に向かっていくのを植え込みからじっと見つめる柚葉と遊莉。

 西田は相変わらずぼーっとしていたのか、晴に気づくのが遅かった。

「わっ」

「おはようございます、あの――」

「……」

 晴が声をかける間もなく、西田はその場を最短距離ですり抜けると、いつになく固い顔で逃げるように校舎へと去っていった。柚葉と遊莉が顔を見合わせる。晴が帰ってきた。

「……さすがにびびられちゃったかな?」

「少なくとも警戒されるよね。それかこいつの顔のせい」

 仏頂面の柚葉のほっぺたを遊莉がブスブス指で刺す。

「遊莉、それ以上やったら噛むわよ」

「そんな汚いことしたらキレるわよ、野獣。これあんたのためにつきあってやってんのよ?」

「あっ、エノキダケ

 晴が指差す先には車のキーをくるくる指の先で回しながらやってくる榎がいた。今度は三人で突撃する。先頭きって遊莉が声をかけた。

「おはよーございまーす」

「あ、佐々木さん南城さん真島ちゃん。三人揃ってどうしたの」

 柚葉が殺気だけ放って何も言わないので晴が代わりに言った。

「ずばり聞きます、榎さんと西田さんって一体どういう関係何ですか?」

「え、朝っぱらから突然それ?」

 たたみかける遊莉。

「榎さんの車で西田さんが登校するの、今日だけじゃないですよね」

「まあ、そうだけど……」

 ごにょごにょと口ごもる榎を三人分の目がじぃっと見つめた。

 ついに三人に気圧されて、「もー、しょうがないなー」と言いながら榎はおもむろに眼鏡を外した。

「色々ややこしいからあんまり言ってほしくないんだけど」

 眼鏡を外した榎を見て、三人はあっけにとられた。

 眉の形、鼻筋、小さく尖った顎に薄い唇、目元の下まつげ。どうして今まで気づかなかったのか不思議なくらいだ。思わず晴の口から声が漏れた。

「うそ……」

「俺が兄貴であいつが反抗期の弟ってわけ」

「反抗期?」

「あ、こっちの話」

 ちょっと待って、と遊莉がつぶやく。

「え、名字何で違……あ、そっか」

 うん、と榎はうなずいてから言った。

「榎は俺の嫁様の名字なんだなこれが」

 これで全ての疑問が氷解した。晴と遊莉が横目でちらっと柚葉を見ると、柚葉のどんよりした目に生気のある光が戻り、仏頂面から真顔へ、そして徐々に表情が戻ってくるのがわかった。

「なーんだ!」

 すっかり安心した柚葉はゲラゲラ笑いながら容赦なく榎をどついた

「もー、びっくりした。西田さんと榎さんが仲良さ過ぎて二人はホモなんじゃないかっていう説まで出る始末なんですよ?」

「何それ?」

 ほっとする晴と遊莉をよそに、柚葉は憑き物が落ちたように一人で笑っている。榎はいまいち何が起きているのか、といった表情である。相当なけだものが柚葉にくっついていたことなど知るわけもないのだが。

「のんびりしてると予鈴鳴っちゃうよ。行った行った」

 榎に促され、わーっ、と走っていく三人。その背中を見ながら、今日は妙に真島ちゃん元気だな、とは思う。

「ホモねぇ……」

 取っ付きにくい由博が少しでも周りに馴染めるように、自分では遊んであげているつもりなのだが。

 由博にも言っておくか。さすが女子高生の妄想力の賜物、笑っちゃうほどとんでもない誤解なのだが。

「……黙っておこう」

 その方が面白そうだ。由博が授業中生徒からとんでもない質問を投げかけられ静かにあたふたするのが目に浮かぶ。榎はニヤッと笑うと指先で車のキーをくるくる回しながら図書室に向かった。

 この性格の悪さが榎友紀が影で「毒キノコ」と呼ばれる所以である。

つづく