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かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第6話「前髪」

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 西田の第一印象が「いい匂いがする」だったのは置いておくことにして、西田を初めて見た時の印象は一言でいうならこれだった。
「前髪切りたい」。

「ぶっ」

  榎が噴いた。腹を抱えて笑う榎にだってえ、と柚葉はぶーたれる。
「どこ見てるかわかんないし目が合わないし、何より野暮ったくて陰気」

「それはひどい」
 と言いながら榎はまだ大笑いしている。ひどい兄だ。
 そんな中、柚葉の視界に図書室をちらっと覗く西田が移った。すかさず柚葉が声をかける。
「ちょっとー、西田さん」
「え、何」
 柚葉にワイシャツの裾をぐいぐい引っ張られる西田は「何か嫌な予感がするなー……」という顔。BGMにドナドナでも似合いそうな感じだった。そんな西田にビシッ! と指を突き立て柚葉は言い放つ。
「西田さん、前髪切って!」
「えー、やだめんどい」
「即答なの⁉」
「うん。めんどい」
 全身からやりたくないオーラ全開の西田に柚葉はまくしたてる。
「何でこう理工の人間ってダサいの! 頭ボッサボサだしTシャツまでインしようとするし隙さえあればチェックシャツの大繁殖! お前らそんなに直交座標平面が好きかっ! そんなんだからみーんな低恋愛偏差値のまま三次元から多次元に行っちゃうのよ!」
「やめろ、それ以上理工をディスるな……」
 そう言いながら西田も笑いをこらえている。柚葉の毒舌は止まらない。
「特に数学科! 文学部の哲学科並に世間からそっぽ向いてるわよ! ネイピアだメルセンヌフーリエだいう前に顔洗って来いってんだ!」
 ダレカタスケテー、と西田が視線で救難信号を送ってきたので榎が話を変えようと試みる。
「真島ちゃんってさあ、やたら理工学部とか詳しいけど、兄姉でもいるの?」
「いえ、いませんけど」
 柚葉はきょとんとしている。よーしこれで話が切れたと思ったら違った。
「父が蔵前工科大の数学科卒なんで」
「えっ」
 食らいついたのはあろうことか西田の方だった。
「蔵前工科大ってすごいじゃないですか」
「え、すごいの?」
 首をかしげる柚葉。西田は珍しく少し興奮していた。
「蔵前工科大って、旧帝大のひとつ」
「そうなの!? あれが!?」
父親を『あれ』言わないの」
 やんわりたしなめる榎だがその程度で止まる柚葉ではない。
「だってうちの父親常識ないしダサいし普通のエンジニアっつーかサラリーマンだよ!? はっきり言って社会不適応だよ!? うっそだー、旧帝大とか!」
「いやほんとだって。すげーな」
 とか言いながら西田はちらちらと壁の時計を見ている。予鈴まであと一分。柚葉は気づかないでまだぶつぶつ言っている。
「いや、頭良くてもさ、やっぱこう――」
 きーんこーんかーんこーん。鳴った、よし。とばかりに西田は歩き出す。
「ほら、真島ちゃんも早く行かないとマズいだろ」
 榎がニヤニヤしながら言う。やっばー、と図書室を飛び出す柚葉。西田を追い抜く。
「あ、西田さんちゃんと前髪切ってよね!」
 それじゃ! と柚葉は廊下を駆け抜けていった。西田は無意識に前髪を触りながら次の授業へ向かったのだった。

***

 翌日。西田が少しだけ前髪を切ってきた。今まで眉の下ぐらいまであった前髪が、ようやく眉にのっかった。

「な・ん・で! そんなビミョーな切り方になるの!」

 またも図書室で運悪く柚葉と鉢合わせしてしまった西田はうっとうしいなあ、という顔。榎はただニヤニヤ笑っている。

「で、西田さん何センチ切ったの?」

「二センチ」

「二センチ!? そんなの切ったうちに入らないってば!」

「切れーーーー!」

「やだめんどいーーー」

 キャンキャン吠える柚葉と石のごとく頑なな西田。本当にこいつら面白いな、俺巻き込まれたくないけど。と榎は思う。

 ヒートアップした柚葉が筆箱からハサミを取り出した。

「もう私の手で切っちゃいますよ? 西田さんのぱっつんとか見たーい、超見たーい」

 ハサミの歯をシャキシャキ鳴らす柚葉。

「それはダメ、マジで、ダメ」

 西田は冷静にそう言うが手は無意識に前髪を押さえている。

「ぱっつんになった日には俺学校に来ないし、部屋から出ない」

「おもしろそーう」

「マジでやめて」

「真島ちゃん、そのへんにしときな」

 榎の制止に「ちぇーつまんねーの」、とハサミをしまう柚葉。

「でもさあ、西田さんそのまんまじゃモテませんよ、どうするんですか?」

「別にいいし」

「何孤高ぶってんの非リア」

「うるさい」

 顔には出さないが静かに傷ついてるのが榎にはわかった。

「でもさあ、もったいないなー」

 柚葉はふてくされたように呟いた。

「何が?」

 榎の問いに柚葉は素直に答える。

「西田さん綺麗な人だから」

「綺麗?」

「うん」

 柚葉は言う。

「色白で女の私より肌は綺麗ですべすべだし。目だって大きくて切れ長だし。ちょっと眠そうなだけで」

 西田がぼやく。

「それほめてんのかなあ……」

「ほめてる。ただ少し残念なだけ」

「残念……」

 ヘコむ西田に柚葉は言う。

「だからいいのよ、西田さんは」

 そう柚葉は笑った。よくわからない、という顔の西田。なるほどね、という顔の榎。

「あ、でも前髪は切って」

「そこは譲らないのね!?」

「うん」

 柚葉は真面目な顔で榎にうなずく。

「だってもったいないじゃない。いくらミロのビーナスでもサモトラケのニケでも砂にまみれてホコリかぶってちゃイミがないのよ」

 もっとも、と柚葉は付け足す。

「別に西田さんがサモトラケのニケみたいにかっこいいなんて言う気はさらさらないんだけど」

 いまいちよくわからないな、という顔でそっと図書室を去る西田。ニヤニヤする榎。柚葉は榎の表情に気づかないまま、一人自分の言ったことに思案していた。呟くように言う。

「私、サモトラケのニケが好きなんだ」

 柚葉はそのまま独り言のように続けた。

「ミロのビーナスよりもサモトラケのニケなの。腕も頭も無いし、ビーナスよりそっけなくて不完全だけど、そっちの方がずっと素敵だと私は思った。何でだろうね? たとえ翼しか残ってなくてもきっと、私はニケの方が好きだって言うと思う」

「人は不完全なものの続きを想像力で補おうとするから、不完全なものを美しいと感じるらしいけど」

 ニヤニヤする榎。ばちっと目が合う。柚葉は急に態度が冷たくなった。

「……完成されないままの方が素敵なものもある」

「へえ?」

「ビーナスもニケも腕も頭も無いままがいい。金色夜叉も話のラストがわからないのは残念だけどあれ以上続けるのは冗長」

「それで、真島先生から見るとあのサモトラケのニケ君はなかなか面白いわけだ」

「見飽きないってだけ。西田さんとニケとを一緒にしないで」

 どんどん機嫌の悪くなる柚葉を榎は面白そうに見ている。柚葉は苦し紛れにこう言った。

「西田さんはニケと言うよりカフカの『城』」

「とう言うと?」

「わけのわからないもの」

「なるほど」

「もう帰る!」

  完全に腹を立てた柚葉は大股に図書室を出ていった。榎は貸出カウンターの中で一人腕組みをする。

「さーて、どう転ぶかな」

 さすが「毒キノコ」榎、無責任に賽を投げたものではある。しかし、榎ですら二人の結末がどうなるかまではわからなかったし、誰にだってそんなものはわかりはしなかった。

***

 一方、柚葉は反芻していた。わけのわからないもの。西田先生はよくわからない。わからないから苛立つし、知りたくなる。

 西田先生のことは好きだ。先生として、大人として。でも、時々どうしようもなく呆れるしわからないし噛みつかずにはいられなくなることがある。そんなどうでもいいことにとらわれて、といつもあとになってから思うのだが、どうしてそうしたくなるのかは自分でもよくわからない。強い好奇心のような何か。知りたいと思う何かが先に動いてしまうのだ。そして、西田先生の「わからない」が増えるたびにその気持ちは強くなっていく。解けない数式を見ているような、そんな気分。数学者は解けた瞬間エクスタシーを感じるが、解けない間はむらむらするらしい、と何かで読んだ。まさにそれ。

 なるほどそういうことか、と手を打ってから柚葉は少し立ち止まった。脳裏をさっきの榎のニヤニヤ笑いがよぎる。柚葉は少し眉間にシワを寄せてから、違うな、と今までの自己分析をひっくり返す。

 「むらむら」は正しくない。私が西田先生に持ってる感情はそんな恋だの愛だの下劣でチープなパルプフィクションじゃないもん!

 そもそもそんな肉欲めいたものに走るなんてお子様。本能と性欲の奴隷。もっと人間は理性的に生きるべきだし昼ドラや月九みたいな見る気も失せるような安い「愛」なんて笑っちゃう。本当の恋愛ってのははるかに深くて複雑な、私の想像も及ばないようなものだ、きっと。精神的で哲学的な何か。

 西田先生のことが気になるのはただ、私が西田先生を尊敬しているからと、その尊敬する西田さんがあんまりにも世間からずれてるのが許せないだけ。そういうことだ、と柚葉は結論づけた。

 榎の下品なニヤニヤ笑いがフラッシュバックする。絶対榎さん、私が西田先生のこと好きだと思ってる。そうじゃない。そんな女子高生が先生に片想いって、もう何十年か昔のドラマじゃないの。リアリティ無さすぎ。いい歳して何夢見ちゃってんの、大人のくせに。

 激しく否定し分析すればするほど感情の輪郭ができていく。うっすらと浮き上がるデッサンの線に柚葉は全体像を見た気がした。慌てて掻き消して別のアウトラインをなぞっていくがもう遅い。柚葉は激しく動揺していた。だから防衛反射的に怒ったり否定することしかできなかったのだ。

 見事に榎の揺さぶりにひっかかった柚葉だった。

***

「えーと、うん」

 西田はいつものようにボソボソと授業を始めた。

「こないだはB問題の278まで行ったんだっけ。今日は279ね」

 ボソボソしゃべりながらも授業は快速で進んでいく。二十分を過ぎたあたりで脱落者がちらほら現れ始め、それに気づいた西田は快速から各駅にひっそり切り替えるがそれがまた裏目に出て脱落者が増えた。柚葉も眠そうな顔で頬杖つきながらなんとかついていこうとしている。が、本当についていけているかどうかはかなり怪しい。

 終業チャイムが鳴ったとたん急に元気になる生徒たち。西田はふー、と息を吐きながら教室を出た。カリキュラムの進行スケジュールをまた立て直さなければ、と思う。

「――西田さんっ」

 その声は、と思って振り返ると案の定柚葉だった。入り過ぎていた肩の力が少しだけ抜けた。

「何、どこわかんなかった?」

「いや、そうじゃなくて」

 柚葉は眉間にシワを寄せたまま言った。

「そのスリッパ、やめた方がいいと思います」

「ん、何で?」

 西田は足元に目を落とした。いつもの革靴から今日は健康スリッパに変えてみたのだ。柚葉が厳しく問い詰める。

「何で突然それに変えたんですか」

「革靴めんどくさいから」

「めんどくさいって何ですか! だからって何でそんなジジ臭いスリッパなんですか!」

 よく見てるよな、何でだか知らんけど、と西田は思う。西田は数学はできてもそっち方向のカンは全くないに等しい。

「そんなねえ、西田さんが中年を過ぎたオッサンなら私も何も言いませんよ。でもね、西田さんまだ二十代そこそこなんでしょ? 二十代のくせにそんな枯れてていいと思ってるんですか!?」

 一方の柚葉はキレキレにキレていた。柚葉としてはそれが恋愛感情か憧れか尊敬かブラコンかは本人にも全く区別がついていないものの、曲がりなりにも西田を「好き」なことには変わりはないのである。その西田にダッサい格好をされるなんぞ柚葉的には絶対許せないのである。ただし、もし逆に西田が急にカッコよくなってモテるようになったらまた柚葉も心穏やかではなくなるのだから女というのはメンドクサイ……そもそも西田は女に興味は無いし、柚葉のことは数学者がとりあえず定数をaとかbと置いてみるのと同じレベルで「女の子」「生徒」としか記号づけしていないのだが。

「西田さん枯れてます。そんなの絶対ダメです!」

「ダメって……だって革靴のヒモ結ぶのめんどくさい」

「めんどくさがるなそこをー!!」

「ええー、何でー」

「スーツにスリッパとかみっともないじゃないですか!」

 もはやどっちが上だかわからない。「みっともない」の一言に静かに傷つきつつも西田もいつものふてくされたような顔で反論する。

「革靴って夏は暑くてさ。何か嫌なんだよ通気性悪くて」

「……」

 柚葉の目は相変わらず三角のままである。

「ダサい」

「うっ」

 はっきり言われるとグサリとくる。

「恥も外聞もなくなったオヤジじゃないんです。スリッパだけはやめてください。ヒモ結ぶのが嫌ならローファーがあるじゃないですか。私たちが履いているような」

「あ、そっか」

「私もローファーだと足が蒸れる時は黒い地味なスニーカー履いてます。校則違反なんでナイショですけど」

「あ、なるほどね……」

 目からウロコな顔の西田。呆れる柚葉。

「そのぐらい思いつきましょうよ。西田さん今まで一体どーやって生きてきたんですか……」

「ん、なんとなく、テキトーに、フツーに」

「どこが普通ですかどこがー! もう私西田さんが心配ですよ!? 今西田先生の過去現在未来の全てが心配です!」

「そこまで!?」

「そこまで!!」

 柚葉は大きく縦に頭を振った。

「なんかもー……!」

 そこまで言ってから柚葉は急に真っ赤になった。

「?」

 しばらく黙っていた柚葉だったが、急に人差し指をビシッ! と西田に突きつけこう宣戦布告した。

「……見てて腹立つ! もう私これからも西田さんにビシバシ言わせてもらいますからね! それじゃ!」

「何それ?」

 一方的にそう告げると柚葉はくるっと回れ右して大股に教室へと戻っていった。ドアを閉める前に振り返って叫ぶ。

「私そのスリッパは嫌ですけど、その……西田さんのことは嫌いじゃないんでカン違いしないでくださいよね!」

「はあ……」

 バタン! と閉まるドア。一体俺は何を怒られたんだろう、と西田は首をひねった。

***

 夜九時。駅前居酒屋にて。

 数学科ベテラン教員の君島と、君島と仲のいい国語科の雪村に誘われて西田も飲みに行くことになった。正確に言うと、君島が西田を誘ったら「僕も行こうかなぁ」と雪村がついてきただけなのだが。

「もーさー、雪村さんも空気読んでくださいよね? 雪村さんついてくるなんて言ったら西田君も断りづらいじゃないですかー。――あ、ビール一つとウーロン茶一つと、枝豆三つ。西田君は?」

「モヒートで……」

「じゃあモヒートも一つ」

 かしこまりましたー、と去っていく店員。どうなっちゃうんだろうなあ俺、と西田は他人事のように思った。

 西田の正面でにこにこしているのが君島、その隣でぼーっとしているのが雪村である。君島が言った。

「西田君焼酎は飲む?」

「いや、あんま飲んだことないっす……」

「そっかー、でもやっぱ鹿児島といえば芋焼酎だからねえ、そうだ、今度来る時はみんなで焼酎の飲み比べとかどうかな。数学科教員みんなで!」

「あ……よろしくお願いします」

 えっとねー、今度のテスト明けとかがいいかなー、と早口につぶやく君島。普段は人当たりも良く気が利いて穏やかな君島だが、実際はとても短気でせっかちである。ついでに言うと、というかここからが強烈なのだが、君島は僧侶である。女子高から歩いてほどないところにある浄土真宗のお寺の住職代理なのだ。しかし本人は海央館に中等部から在籍していたれっきとした海央館卒業生であり、数学科教員の中でも最も教え方の上手い教員なので西田も先輩としてかなり尊敬していた。「今日午後から法事あるからこんな格好だけどごめんねー」と言いながら、袈裟姿のままものすごい勢いで授業を進めていく様はなかなか見物である。

「僕ぁね、」

 雪村が急に口を開いた。

「僕ぁね、君が西田君を連れていくって言うと、ホラ、先輩が後輩を締め上げるみたいでさあ、あんまり穏やかじゃないなあと――」

「そんなことしませんよ。何言ってるんですかぁ」

 心外だなー、と言う君島に雪村は続けた。

「どっちにしろ君と二人っきりだと西田君も逃げ場がないでしょ。ここはね、数学科でも直接の先輩でもない僕が入ったらちょうどいいんじゃないかなぁ、と、僕ぁ思ったわけ」

「そんなこと言いながら、結局はどうせ雪村さん寂しかっただけなんでしょ?」

「別に」

 すねる雪村を君島は笑っている。いつもこの二人はこんな感じだ。

 せっかちな君島とは対照的に、雪村はかなりのんびりした性格である。それが口調にも表れていて、いつも「僕は」が「僕ぁ(ぼかぁ)」に聞こえてしまう。そののんびりした性格と先ほど君島に見せたようないわゆる「ツンデレ」なところが面白がられて女子高生からは「ゆっきー」のあだ名で呼ばれている。本人もまんざらでもなさそうだった。

 そもそもこの二人は海央館高校の同級生で、雪村は文学部、君島は理工学部に進んだもののずっと仲が良く、お互いに結婚し子供が生まれた今も家族ぐるみで仲良くしている。

 ドリンクと枝豆がやってきたので追加で焼き鳥とイカそうめんを注文する。店員が去った後で西田は疑問を覚えた。

「あの……」

 西田は遠慮がちに言った。

「雪村さんは飲まないんですか」

「ええ?」

 雪村はさっきからウーロン茶片手に枝豆ばかりもちゃもちゃ食べている。君島が無言で自分の枝豆の皿を渡すと「ありがと」と手を伸ばした。

「僕ぁね、自慢じゃないけど下戸なの」

「はあ」

「ほんとさー、何で来たのって感じだよねー」

 君島がジョッキ片手に笑う。

「僕ぁ全く飲めないわけではないんだよ? 僕の一日の唯一の楽しみはね、家で『霧島』を一杯コップに注いで、ゆっ……くり時間かけて晩酌することなんだよ」

「ショートケーキのイチゴを最後までとっておきたいタイプなんだよね」

「そうそう」

「だから寂しかったからついてきただけなんでしょ?」

「二人とも酔っぱらったらシラフの人間が一人ぐらい必要でしょう」

「またまたー、そんなこと言っちゃって」

 この二人のやり取りを肴にしても十分飲めそうだなー、と西田はキンキンに冷えたモヒートを静かにすすった。

「……あれ、君島先生はビール飲んで大丈夫なんですか?」

 西田は君島のつるりと剃られた頭を見てからその手に握られたジョッキを見る。もうジョッキの半分ぐらいが無くなっている。僧侶が飲んでもいいんだろうか。

浄土真宗は肉食妻帯飲酒がOKなの」

 雪村が答えた。

「現に僕も君島さんも子供がいるでしょ」

「ああ、なるほど」

「度を越さなければ許されるんだよ。ついでに言うと君島さんお酒めちゃくちゃ強いからね」

「そうなんですよねー。だからあるとついつい飲んじゃう。そんなわけで檀家さんからもらった『霧島』を雪村さんにあげてるんですよ」

「共生だね」

片利共生ですけどね」

「いいじゃないの別に」

 雪村が最後の枝豆をほおばる。

「そうだ、坂下先生も焼酎お好きなんだとか。次は坂下先生にあげようかな」

 まさか君島の口から坂下の名前が出るとは思わなかった。思わず訊き返す西田。

「坂下先生って、社会科の?」

「そうそう。たまに一緒に飲むんですよ」

「僕と違って交友関係広いの、君島さんは」

「はあ」

 どこまでも対照的な二人である。対照的だからこそ上手くいくのだろう。

「……あ、そういえば坂下先生のクラスなんですけど」

 西田は思い出して坂下が担任するクラス、今日の柚葉との顛末を二人に話した。

「スリッパってそんなにだめですかね……」

 君島が平然と答えた。

「僕スリッパですよ?」

「僕もだねえ」

「じゃあ僕らは真島さん的には『枯れたオヤジ』なんだね、あっはっは」

「……」

 黙ってモヒートをすする西田。そんなことないですよ、などと思ってもないことは言わないのが西田である。見え透いたお世辞は言わない。

「あー、でも女子高生の言うことは参考にした方がいいと思うよ。その全てを信じろとは言わないけど」

 君島が言った。

「女子高生っていうのはすぐ反応してくれるからね。良くも悪くも自分の鏡だよ。いい授業したらいい反応返ってくるし、まずったなあと思ったらそういう反応返ってくるし。反応が返ってくるってことは自分がどう見られてるかわかるから大事なことだ。でも顔色窺っちゃダメ。そうなったらすぐなめられるからね。あくまで自分を測る尺度だよ」

「はい」

 尊敬する君島に言われて西田は素直にうなずいた。にしても、と君島が不思議そうな顔で顎を撫でる。

「真島ちゃんがねえ、そういうこと言うなんて意外だったな。ほら、そこまで目立つ方でもないじゃない?」

 腕組みしたままずっと黙っていた雪村が呟いた。

「……真島って、誰。」

「ちょっと。雪村さん生徒の顔まだ覚えてないんですか」

「大丈夫、卒業するまでには覚えてるから」

 年取るとねえ、物を覚えるにもすごくエネルギー使うんだよ、とぶつぶつ反論する雪村。西田が席を立った。

「すいません、ちょっとトイレ行ってきます」

「はいはい」

「ん」

「トイレあっちだからね」

「ありがとうございます」

 西田がトイレに入ったのを見計らって雪村が言った。 

「意外と積極的だね、彼女。東京の子だったっけ?」

 うん、と君島がうなずいて続けた。

「ま、ここらの子はそこまでアグレッシブじゃないからねえ。僕らにしたらちょっと目立って見えるのかもしれない」

「女子高生は『ここらの子』に入るんだろうか?」

「確かに」

 二人で笑う。海央館女子は「強い」「怖い」などと男子高校生から恐れられるぐらいに怖いもの知らずでエネルギッシュな生き物だ。雪村が言う。

「西田君気づいてると思う? 少なくとも、理解してると思う?」

「いやあ、そもそも真島ちゃんがどう思ってるかほんとのところはわからんよ」

「そりゃそうだけど」

 君島が言った。

「西田君もあんな顔して意外と聡いかもよ」

 それが全く聡くないのだがこの二人はそんなこと知る由もない。雪村が君島のジョッキにビールを注ぐ。

「まあ、なんかヤバそうになったら君島さん、」

「それとなーく」

「そういうこと」

 どちらからともなくジョッキとウーロン茶のコップを掲げ、カチン、と乾杯。ぐっと一杯飲んでいるところに西田が帰ってきた。

「――失礼しました」

「いやいや」

「ん」

 イカそうめんと焼き鳥がやってくる。実はこの西田、やっているスマホソーシャルゲームの協力イベント中で、今軽く一プレイやってきたところだったのだが、二人はそんなこと知る由もない。

***

 そしてちょうど同じ時。かもめ寮三〇二号室の柚葉は二段ベッドの上で今日の西田とのやり取りを思い出してもだもだしてばたばたしては下段の晴から怪訝な顔をされるのだが、西田はそんなこと知る由もない。

 

おわり