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かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第7話「縁と緑」1

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  柚葉は二段ベッドの上で今日マチ子の「センネン画報」を読んでいた。階下の晴はもう寝ている。 
 読み終わった柚葉は水が飲みたくなってベッドから降りた。一階に降りていこうと電気のついていない階段を降りていく。前までは懐中電灯片手じゃないと歩けなかったが、今はどこに何があるかわかるようになったのでブラインド越しに漏れる外の街灯の薄明かりさえあれば十分歩ける。 
 一階まで降りたとき、食堂のあたりで「なにか」が動いたのが見えた。「誰か」ではなく「なにか」。人ではないフォルムをした、人ぐらいの大きさのなにか。

  食堂の前をそろそろと横切ろうとすると、あちらはこちらの気配に気がついたようだった。ひたひたとこっちに向かってくる。 柚葉は恐怖で足がすくんだ。

「あ、あ……」
 暗闇の中で見えたその「なにか」はカエルの形をしていた。 柚葉は息が浅くなってくる。
 化けガエル!
 さらにそれは迫ってきた。二メートル。一メートルを切った。
 化けガエルは柚葉に向かって手を伸ばした。
「ひゃあああああああ!」
 その手は柚葉の頬をかすめ、隣にあった電灯のスイッチを押した。
 ぱちっ。
 柚葉の目の前にあったのは、カエルの着ぐるみを着た人の顔だった。 彼女はへらへらと困ったように笑う。
「わー、ごめんねぇ。びっくりしちゃった? 私もびっくりしたよぉ、こんな夜中に誰かいるん……」
 彼女はそこで言葉を切った。それもそのはず、目の前で柚葉が子供みたいに泣き出すんだから仕方ない。
「え? え? ど、どうしよ」
「び、びっくりしたっ、うぇっ、うぇっ」
「そんなびっくりしたん?」
 う゛ぇーーーー、と泣き出す柚葉。スイッチが入ってしまって止めようがない。柚葉を食堂の椅子に座らせて、彼女は途方に暮れた。
「あ、温かいお茶飲む? ってか飲める?」
 背中をさすさすと撫でる。
「君見ない顔だね……あ、そうか、もしかして一年生?」
 こくりとうなずく柚葉。
「そうか、どうりで。私二年生の佐藤つくし
 名前を名乗るのも忘れて柚葉は訊いてしまった。
「何で、カエルなんですか」
「あ、これ? かわいいでしょ?」
 つくしは自慢げに両手を広げた
「私カエル大好きでカエルグッズ集めるのが趣味なの。だからこれは私のパジャマ」
 ここがフードになっててカエルの目がついててね、と楽しそうなつくしを見て、これまた珍妙な先輩だな……と柚葉はひくつきながらも冷静に頭の中でつぶやく。いや、カエルのお化けで泣き出す柚葉も十分変なのだが。
「君の名前は?」
「ま、真島ゆっ、柚、葉、です」
「落ち着け落ち着け」
 つくしは白湯を作りに食器棚からコップを取りに行った。

***

 二人は並んで白湯を飲んで体を温めていた。五月の夜はまだうすら寒い。
「へえ、ゆずちゃん東京からきたん。わぜうらやましー」
「わぜ……?」
「あ、『わぜ』って『超』って意味ね」
「はあ、でも私そんな大したことないですよ」
「東京いいなあ!」
「東京っていうか、横浜なんですけどね……?」
 微妙にかみ合わない会話だがつくしが楽しそうなので柚葉はそれで良しとする。
「うちも早く東京の大学行って一人暮らししたいわあ、今東京の推薦もらえるよう頑張ってるとこなんだけどね?」
「はあ」
 柚葉は白湯を一口飲んだ。
「そんなにいいところですかね、東京。殺伐としてる気がします」
「そっちの方がよか」
 つくしは即答した。
「なんかこう、こんな田舎だと何か特別なことしたりとんがってみようと思ったり、ちょっとでも人と変わってると白い目で見られるんよ。それがうちは嫌。それに比べたら何しても平気な東京の方がいい」
「そうなんですかね……」
 柚葉は自分がどうだったか思い出そうとしたが、思い出すと嫌なことばかりしか出てこなかったので頭を振って思考を閉じた。
「そうだゆずちゃん、部活はどこ入るの?」
「部活?……あ」
 そういえばそろそろ入部期間の締め切りだったと柚葉は思い出す。
「あの、そもそも部活って入らないとダメなんですか」
「えええ! ゆずちゃん何言ってるの! 入らんで女子高生活何するつもりなの⁉」
「……勉強?」
「えええ!」
「私、中学の時から部活入っていないんです。だからめんどくさいし、いいかなって」
「そんなのつまらんよ、ゆずちゃん!」
 きょとんとする柚葉につくしは熱弁する。
「確かに入らないっていうのもあるよ? 医学部に行きたいから勉強頑張りますとか、そういう子は二年生あたりから部活に出ない子もおるよ? でもね、女子高はほぼ百パーセントみんな部活に所属しとるし兼部する子だっておるし、みんな楽しいことしとるんよ。合わなかったら合わなかったでやめればいいとうちも思うけど、初めからそういう楽しみを『いらない』って拒否するのは、うち、違うと思うよ」
「……」
 柚葉はしばらく黙っていたが、静かに言った。
「だってもう、初等部の子とか人間関係ができちゃってるわけじゃないですか。それに部活って人間関係狭いじゃないですか。そこで誰かの悪口言ったりハブったりハブられたり、そういうの嫌なんです。たくさん中学で見てきたから」
「そっか……」
 つくしはとても残念そうな顔で柚葉を見つめた。これで諦めてくれたと柚葉はほっとしたが、違った。
「ゆずちゃん、つらかったんね」
 思いがけない角度からの言葉に柚葉は少なからず動揺した。
「でも、これから楽しいことたくさんあるといいね」
 それは晴が自分にいつか言ってくれた言葉ととてもよく似ていた。
  柚葉はとても動揺していた。なぜこの人たちはそんなに人に優しくできるのだろう? 「こいつウザいなあ」とか諦めたりせずに、人の幸せを当たり前のように祈れるのだろう?
 そんなことを考えながら、にこにこ暖かく微笑んでいるつくしのことを柚葉は不思議そうに見つめていた。
「うち、茶道部なの。実はハッチも塩さんも茶道部なんだけどね」
「ハッチ、塩さん……あ、碇先輩たちですか」
「うん。もしゆずちゃんが興味あったら体験入部においでよ。お菓子とお茶用意してあるからね」
 つくしはそうにっこり笑った。

***

  翌日。昼休みに食堂で三人してご飯をがっつきつつ、遊莉はビシ! と箸を柚葉に振った。

「ねえゆず、今日で体験入部期間最終日だけど、本当にどこにも行かないつもり?」
「う……」
「晴は昨日スケート部に行ってきたんでしょ?」
「うん! 楽しかったよ! 入部届けもう出してきた!」
「は⁉」
 柚葉は目をひん剥いた。 
「ちょ、ちょっと晴、華道部に天文部にスケート部って、三つも兼部して大丈夫なの⁉」
「大丈夫大丈夫、華道部は練習が月イチだし、スケート部も活動日すごく少ないし、スケート部は夏休みと冬休みだけ活動だから。へーきへーき!」
 遊莉の顔もひきつっている。
「その代わり絶対文化祭の時に死ぬわよ、あんた……」
「そうかもー。あはは」
  全く危機感のない笑いに呆れる柚葉と遊莉。しかし晴はさらにこう言って二人を凍りつかせた。
「でもなー、もう一つぐらい入っておこうと思うんだよね、部活」
「……」
「……」
 もう何も言うまい、と心に誓った二人だった。お構いなしに晴が言う。
「遊莉はどうするの?」 
「あたしはそうねえ、週イチぐらいの楽そうなところがいいわね」
 意外、とつぶやく柚葉。
「ふーん。器楽部とかじゃないんだ?」
「あそこはポジション競争激しいし、ほぼ毎日練習じゃない」
「そうなんだ?」
「みんな楽器歴十年以上の猛者ぞろいだからね。ほとんどセミプロみたいなものだし、そのままプロになった先輩もいるぐらいだもん」
「うわあ……」
  さすが海央館、と柚葉は口の中でつぶやいた。
「それはともかく、問題はあんたよ、ゆず」
「はあ……」
 はあ、じゃないわよ! と遊莉が天井を仰ぐ。
「ちょっとでも興味あるところとかないわけ?」
「誘われてるところは……あるかな」
「あら、いつの間に!」
「いつそんな誘われてたのー?」
  柚葉はカエル事件で情けなく泣いたのを思い出して恥ずかしくなって、俯いてもごもごと言った。
「一人で行くのは何となく気まずいからさ、一緒に行ってくれないかな」
「えー? いいわよ」
「うん」
  柚葉は不安そうに二人のカーディガンの袖をつまんだ。

***

「足崩していいからね?」
「はあい」
  三年の先輩が晴、柚葉、遊莉の目の前を通り過ぎていく。三人の前にはもなかの乗った懐紙がひとつずつ。三人はそれを穴が開くほど見つめ、生唾をごくりと飲んだ。茶席の主人である東(とう)が「お菓子をどうぞ」と言うまでは「待て」なのである。塩見先輩が目の前でお茶を点てているのを見ながら、遊莉が囁いた。
「週イチで座ってればお菓子が食べられるって、なかなかいい感じじゃない」
「しーっ! なんてこと言うのよ遊莉」
  柚葉たちのいる畳の部屋の隣の台所――水屋からひょいとつくしが顔を出し、ぶんぶんと手を振った。
「ああ、ゆずちゃん! 来てくれたんだね、うれしー!」
  その熱量に柚葉は少し気圧されて、はにかみながら遠慮がちに手を振った。つくしが言う。
「うちもお菓子食べたくて入ったようなもんだから。みんな似たような理由で入部したんよ!」
「……聞こえてるじゃん、ほら」
「……」
 柚葉が小突くも、完全に知らんぷりを決め込む遊莉。柚葉はやれやれとため息をついた。そして視線を戻せば、目の前にもなかである。小ぶりのもなかは見るからにパリッとした薄皮で、そして懐紙を受け取ったときに感じたずしりとした重さから、中はもったりとしたあんがこれでもかと詰め込まれているのだろうと容易に想像できた。ぎゅるる、とお腹が切ない悲鳴を上げた。慌ててお腹を押さえる柚葉。
「もう食べていいんだよ」
 隣の席からそう聞こえてふっと向くと、瓶底眼鏡をかけたいかにも真面目そうな顔の女の子が平然とした顔でもなかを手で割っていた。
「やった、私の栗あんだった」
 手慣れた様子で懐紙を扱いもなかを二つに割るあたり、どうやら彼女には茶道の心得があるようだった。すごいな、と思いながら柚葉はもなかを口に突っ込む。きっと彼女もどこかのご令嬢で、嫁入り修行にお茶とお花をたしなんでいるような人なのだろう。柚葉はもちゃもちゃと粒あんを咀嚼しながら訊く。
「君も一年生?」
「うん、そうだよ。B組」
「隣だね。私A組」
「そうなんだ」
 彼女は高校生のくせにきゃぴきゃぴしたところが全くなく、とても静かで落ち着きはらっていた。かといって緊張していたり陰気臭いところもなく、まさに「平常心是道」とでもいうべきほどに穏やかにもなかを頬張り、その甘さに幸せそうに目を細めていた。瓶底眼鏡の奥で。
 肩の上で切りそろえられた彼女の髪型は瓶底眼鏡と相まってともすると昭和の古臭い感じがしたが、茶道の心得があるからといって威張りもせず、しかしさりげなく品がよい感じがして柚葉は好感が持てた。ちょっと勇気を出して名前を聞いてみよう、と柚葉が息をわずかに止めた時、彼女の方が一瞬早く言った。
「あの、名前訊いてもいいかな」
「ふぇっ」
 思わず変な声が出た。恥ずかしさで顔が熱くなる。
「え、えと、ま、真島柚葉」
「真島ちゃんね。私、明石まゆ。――あ、お茶来た」
 平然と茶碗を受け取るその動作を見ながら、この子とはうまく行けるかもしれないと柚葉は何となく思った。

 

つづく