かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第7話「縁と緑」2

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「りっちゃん、唐玉丼ひとつー」
「あいよー」
 返事と共に、たくましい腕が大釜からつやつやのご飯をプラスチック製の赤いどんぶりに盛っていく。この食堂のおばさんは「りっちゃん」の愛称で親しまれている。真っ赤な口紅がトレードマークで、柚葉はなぜかりっちゃんから顔を覚えられてなにかにつけては小鉢をおまけしてもらっているのだった。

 横からすっと食券を出す手が伸びてきた。遊莉だ。
「アジの開き定食」
「遊莉、あんたも好きねえ」
「健康志向なの」
 さらに腕が伸びる。
「とろ玉ヒレカツ丼!」
 これでステンレスのカウンターに食券がきれいに三つ並んだ。
「私もそれにすればよかった。晴、それどこに書いてあった?」
「券売機の横。今日の限定メニュー」
 どこどこ、と柚葉が辺りを見回していると、人ごみの中に見知った顔を見つけた。
「あ、まゆちゃん」
  まゆは柚葉たちに気づかないまま唐玉丼の乗ったトレイを運んでいく。大きなテーブルの隅に座ると、「いただきます」としっかり両手を合わせてから箸をとった。一瞬間を置いて、うふ、と嬉しそうな笑みがこぼれる。そういうところが好きだと柚葉は思った。
  初めの一口、半熟卵の白身のかかった揚げたての唐揚げに手を伸ばす。口に運ぶ。
 箸が滑って、ころりと唐揚げが床に落ちた。そして、まゆは慎重に左右を見渡すと、そーっとテーブルの下にもぐって、ぱくりと唐揚げを口に放り込んだ。
「えーーーー!」
「うるさいわね、ゆず。どうしたのよ」
 後ろの遊莉が眉をひそめる。柚葉はしばらく口をぱくぱくさせていたが、遊莉と晴とのカーディガンの袖をひっつかんでおでこを寄せ合うと小声でささやいた。
「あの、三秒ルールって床の上に落ちた場合でも有効?」
「え、三分じゃないの?」
 にへらっ、と笑う晴にぎょっとする遊莉と柚葉。
「ない、ないわ、それ!」
「ドン引きだよ!」
「あれ、三秒だったかな? どっちだっけ」
「しっかりしてよ、もう!」
「晴、少なくともうちらの前ではそれナシね。……で、何でこんな話になったんだけ」
「それが……」
 まゆを探してテーブルの方に視線をやるが、席を変えてしまったのか、なぜかまゆの姿はどこにもなかった。
 そのかわり、佐藤つくしがいるのを柚葉は見つけた。つくしはテーブルの端っこで味噌ラーメンを遠慮がちにすすっていて、隣のグループは楽しそうに話している。誰かがつくしに話しかけた。つくしは気まずそうに笑うと、また視線を落として味噌ラーメンを食べ始めた。つくしと隣の女の子たちとの間には透明な、分厚い壁が確実にある。柚葉にはそれが痛いほどわかってしまって、胸がきゅうっと痛くなった。
「はーい、唐玉丼一丁!」
 威勢のいい声と共に揚げたての唐揚げと炊き立てのご飯のおいしそうな香りがふわっと上がる。
「ゆず、来たわよ」
「……うん」
 柚葉はトレイに丼を取りながら、無意識のうちに見なかったふりをすることにした自分の存在に気が付いた。そして、つくしのそばに行く勇気もない自分に嫌気がさした。
 つくし先輩には頼れる居場所がないのだろうか? 柚葉はそれと同時に思う。私にも居場所ってあるのだろうか?

***

 特に用がなくとも図書室には通ってしまう。ぼんやりと時間を過ごすには、いい角度で西日が差してくる図書室の窓際は最適なのだ。特に最近の柚葉はガラス窓の向こうからくぐもって聞こえてくる中庭の喧騒に背中を向け、岩波文庫の日に焼けた赤い背表紙をあさるのに夢中だった。
「真島ちゃん、結局部活どこにしたんだっけ?」
 カウンターから榎が新聞をめくる音がする。
茶道部です」
「へええ。家庭科の竹之内先生が顧問か。もう授業は受けた?」
「はい、とっても美脚で! 肌もきれいで!」
「そこかよ」
 素直に言ったまでです! と憤慨する柚葉。
「だって素敵じゃないですか、手に職があって、一人で家事も何でもできて、きれいで。まさに大人の女性って感じがしてかっこいいじゃないですか!」
「まあ、女子高生はそうだろうな?」
「……どういう意味ですか?」
 柚葉がカウンター脇からひょいと顔を出すと、榎は面倒くさそうに新聞をたたんだ。
「自立指向が強いってこと。竹之内先生も女子高OGだしね」
「そうなんですか!」
「その当時はこんな田舎じゃ珍しいぐらいに進歩的だったと思うよ、先生」
「進歩的?」
「……しゃべりすぎたな」
 その続きを聞こうとしたとき、柚葉の背後から襲い掛かるものがあった。
「その声はゆずちゃんだなー! ひゃっほー!」
「つ、つくし先輩⁉ うわっ」
 どしゃっとのしかかられカウンターに突っ伏す柚葉。
「こらこら佐藤ちゃん、暴れすぎない」
「はーい。――お、その手にあるのは岩波の赤。渋いなー、ゆずちゃん本好きなの?」
「ええ、まあ……」
 もともとは本が好きというよりも教室に居場所がなかっただけなんだよな、と心の中で言い訳する柚葉。しかしその時、もしかしてつくし先輩も私と同じなのかもしれないと気づいてしまった。
つくし先輩は何読んでるんですか?」
「え? うん」
 つくしはさっと隠すように本をお腹に持っていく。かろうじて読めたタイトルには「The Catcher in the Rye」とあった。
(洋書……?)
「じゃね、ゆずちゃん」
 つくしは困ったように笑うと柚葉からひょいと身を離し、そそくさと図書室を出ていった。それを目で追う柚葉に榎は言った。
「佐藤ちゃんは帰国子女なんだよ。去年留学から帰ってきた」
「えっ」
 全然わからなかった。でも、隠すようなことじゃないのに。榎はつぶやいた。
「人と違うってことはそんなに悪いことじゃないのにね。難しいな」

***

 翌週から柚葉たちは正式に茶道部の部員として部活に参加することとなった。ただし、茶室は狭いので、新入部員の柚葉たちは隣の教室を借りて練習だ。まずは袱紗の扱い方を二年生から指導される。袱紗とは、お点前をするときに必ず使う赤い正方形の布で、茶杓や棗を拭いたりするものだ。お点前中にはこれをお客さんの前で畳んだりしまったりするので、まずはこの動作を徹底的に覚えなければいけない。テニスに例えると、まずはラケットを振るフォームを覚えるために何度も素振りをするような感じだ。ここで
 しかし、どこの部活でもそうであるように、一番この基礎練習がつまらないのだ。しかも女子ばかりがこうも集まっていると当然おしゃべりに花が咲いてしまう。 練習の合間合間にみんなで自己紹介などをし、それが一通り終わったころにそれは来た。宇野が訊く。
「ねーねー、みんな好きな芸能人とかいる?」
 来た。しまった。柚葉の目が泳ぐ。こういう会話が一番苦手だ。
 受験時代そもそもテレビはほとんど見なかったし、バラエティの類は特に嫌いだった上に、好きなものと言えばアニメぐらいしかなかった。しかし、このキラキラしたメンツの中で、うっかり口が滑って「好きな芸能人は銀河の妖精シェリル・ノームです!」なんて言ったら最後、この部活で居場所がなくなることは間違いないだろう。でも、ろくに芸能人の名前がわからないのに、なんて答えたらいいのだろう……
「晴ちゃんは?」
仲間由紀恵が好きですー」
「そっかー、ああいう大人な女性って素敵だよねえ。遊莉ちゃんは?」
「……堀北真希
「わかるー! かわいいよねえー!」
 何よ! 何よみんな無難に答えちゃって! 私知ってるんだからね、晴は本当は怪盗キッドが好きだし、遊莉は男くさいおっさんが好みだって! 鋼の錬金術師のバッカニア大尉みたいなのがどストライクだって!
 心の中でぎゃんぎゃん叫びながらも、柚葉は焦りに焦っていた。ええい、そんなことより私はなんて答えよう……えーと、なんだっけあのよく化粧品のCMに出てくる美人……黒木メイサじゃなくて……あれだ、栗山千明
 ようやく思い出せてほっとした時、順番が隣のまゆに回ってきた。
「まゆちゃんは?」
「そうですね……」
 まゆは朗らかに答えた。
みうらじゅんですね」
 言うまでもなく、全員がきょとんとした。晴がその心を代弁する。
「……誰?」
「えっ知らない? すごい面白い人なんだよ」
 遊莉が真面目な顔で聞く。
「モデルさん?」
「いや、眼鏡をかけたパーマのおじさん」
「おじさん⁉」
 みんなが「もしかするとこの子はやばい趣味の子なのかもしれない」と焦る中、当の本人だけは「え、何かまずいこと言っちゃったかな?」とようやく気が付いたらしく、その場は妙な緊張感に包まれた。
 そこに、足音と共につくしが駆け込んでくる。
「ねーハッチー! 抹茶の新しい缶どこー?」
「今行くー!」
 碇は椅子から立ち上がり部屋を出ていった。話題がそれて一同ほっとする。怪訝な顔の晴。
「あの、つくし先輩と碇先輩たちって……?」
 ああ、と宇野が答えた。
「もともと同級生。去年つくしさんは留学行ってたから、帰ってきたらそのまま留年扱いになっちゃったの」
 そうなんですか、とうなずく晴。外からは碇とつくしの楽しげな声が聞こえた。でも宇野先輩はつくし先輩と同じ二年生なのに、「つくしさん」って呼ぶんだ……と気づいて柚葉は何か複雑なものを感じた。周りと年齢が違うということ、友達と学年が違うということ、留学が理由とはいえ留年したということ。それと図書室で見たつくしの困ったような笑顔と今のつくしの楽しそうな顔を重ねて、きっとつくし先輩の居場所はここなのだろう、と柚葉は思った。
 そして問題は……と隣にそっと目をやると、まゆはふわふわとその場に合わせて楽しそうな顔をしていた。
「え、何?」
 視線に気づいて首をかしげるまゆ。
「いや、別に……」
 柚葉は反射的に目をそらした。本当にやばい子だったらどうしよう。でも、不思議とそんな風には見えない、と柚葉は思う。「ちょっと変わっている」ぐらいなのだろう。そして、たぶんこの場所は、そんなまゆを弾いたりはしない。そして、私も。
 能天気の晴、毒舌の遊莉、私、天然のまゆ、いろんな先輩たち。動物園みたいな感じだけれど、この多様性は嫌いじゃないな、と柚葉はなんとなく心地よさを覚えるのだった。

 

おわり