かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第9話「セレブの品格」

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  古典の授業前の柚葉たちの教室内には、いつもの能天気な笑い声ではなく、ちょっとした緊張感がぴりりと潜んでいた。先月から毎回授業前に百人一首の小テストが入るようになったのだ。一問四点が五問ずつ。このテストの点数が成績の何パーセントかを占めるということもあって、みんな古典の授業前は勉強時間になったのだ。

  古典の授業前に限らず、暗記物のテストへの取り組み方はみんな人それぞれだが、主に暗記方法は「読む」「書く」「話す」の三種類に分けられる。具体的には単語帳や教科書をひたすら読む、覚えたい内容を呪文のようにひたすら書く、ぶつぶつ呟いたり誰かに覚えた内容を話して確認してもらう、などだ。

 遊莉は「読む」タイプで、単語帳に書いたりすることもなく渡されたテキストをじっと眺めているだけで覚えられるようだ。どうやら暗記物が得意らしい。

 晴は「読む」と「書く」タイプだ。普段はさして勉強しているようには見えない。はたからするとテストの前日になってから突然雑紙にものすごい勢いで殴り書きしているだけに見える。しかし、実はこれで結構勉強しているのだ。晴の場合、覚えるものがあるときは単語帳は作らず、スマホで写真を撮ってそれをことあるごとに見ている。時には待ち受け画面にして必ず目に付くところに置いている。通学中、休み時間、食事時でさえも見ている。周囲がスマホでネットサーフィンしているのに紛れて勉強しているというわけだ。実はお風呂に入るときもスマホジップロックに入れて湯船に持ち込んでいる。晴はスキマ時間の鬼である。

 さて柚葉はどうしているかと言うと、「読む」「書く」「話す」の全てをやっている。自分で手書きの単語帳を作り、ぶつぶつ言いながら見て、テスト前にギャーギャー言いながら紙に書いては捨てている。

 しかし、三人の中で一番小テストの成績が悪いのが柚葉だった。

「なんでよーーーう!」

 返却された先週のテストを三人で見比べて叫ぶ柚葉。遊莉二十点、晴十九点、柚葉十二点。

「ほんと不器用よね」

「言われなくてもわかってるよ! 昔から暗記苦手だもん!」

「でもさー、和歌の意味とか一番考えてるのもゆずなんだよねえ」

 むきー! と涙目で悔しがる柚葉の隣で、晴が柚葉の机に積まれた漫画を手に取り、ぱらぱらとめくった。 『超訳百人一首 うた恋い。』である。柚葉が「きっとこれで勉強すれば古文の点数も上がるはず……!」と買ってみたところ、あまりに面白くて晴と遊莉にも貸し出したのだ。 百人一首のあの句の裏にはこんな人間ドラマが……という形で史実をもとに「超訳」していて、ツンデレ、兄妹もの、遠距離、男女の友情と恋愛などなど、ありとあらゆる角度から乙女の「萌え」を鷲掴みしてくる漫画だった。

 もしかして柚葉、そういうことばっかり妄想してるから文法とかそっちのけになっているのでは? と気づいてしまった遊莉だが黙っていることにした。読んでいて一番きゃーきゃー言っていたのは柚葉だ。純情乙女代表は言う。

「むしろ私にとっては晴の方が不思議だよ。なんで意味も気持ちもこれっぽっちもわかってないのに丸暗記できるのか」

「え。晴、意味わかってないの?」

「うん。点数取れればいいやーって」

「ええええ!」 

  あんなにいい歌なのに! 情緒もへったくれもない! と左右から非難を浴びつつも、晴はにこにこして受け流すだけで何も聞いていない。最近柚葉と遊莉は気づいたのだが、晴には時々そういうところがあるのだ。性格もよく、優しく、勉強もできるが誰に対しても「理解はするが共感はしない」。特に人間の情や心の揺れ動きに関してはびっくりするほど疎い。言われれば「なるほど、そういう気持ちなのね」と理解はするが感動や同情、憤慨はなく、柚葉が見る限りどうやら本人は何も感じていないらしいのだ。だから、晴にとっては百人一首も成績のために必要なただの手段でしかなく、古の人々と気持ちを共有するとか思いをはせるとか、そういうことは思いつきもしないようだった。

 一通り柚葉と遊莉のお説教に聞いたふりをすると、晴はテスト前に書き散らした紙束を捨てに席を立ちあがった。席のすぐ目の前がごみ箱なので数歩で済む。晴は紙束を無感動にばさりと突っ込んだが一枚落ちて、印刷面が見えた。柚葉が拾い上げる。

「……中期経営戦略?」

「ああ、お父さんの会社でいらなくなった紙をたくさんもらってね。もったいないから使ってるの」

「捨てて大丈夫なの? なんか大事そうな書類だった思うけど」

「大丈夫大丈夫ー、拾ってくれてありがとー」

 晴は柚葉から紙を受け取るとそのままごみ箱に突っ込んだ。事もなげに言うが、本当に大丈夫なんだろうか、とちょっと不安になる柚葉である。まだ高校一年、中学生に毛が生えた程度で経営どころか会社も知らないが、重要書類らしいことは察した。遊莉はきょとんとしている。

「ねえ晴、ちゅーきナントカって何?」

「んっとねー、わかんない!」

「晴もわからないんかーい!」

  はっはっはー! と笑う二人を見て何となく気をもむ柚葉だった。

***

 今日の百人一首の小テストのリベンジを次の英単語の小テストで果たすべく、図書室で単語帳を開いていた柚葉だったが、すぐにそれは遮られた。集中力の途切れと、眠気と、榎のせいだった。榎がカウンターから声をかける。

「俺外歩いてくるからここ一旦閉めちゃおっかな。真島ちゃん、荷物まとめて早いとこ出て」

「えっ、そんな、何で!」

「俺が煙草吸いたいの!」

 そんな風にして、柚葉は図書室から締め出され追い出されたのだった。榎はガチャリと錠を下ろしノブにかかっていた看板を「閉室」にひっくり返すと、マルボロを片手に廊下を小走りに逃げていった。鞄を抱えて柚葉が叫ぶ。

「このニコチン依存症!」

高額納税者と呼べ!」

 あっという間に榎の足音が遠ざかる。べー、と心の中で舌を出すと、柚葉は諦めて校門へと向かった。

 こんな真夏日だというのに窓の全て締め切られた廊下をのろのろと歩いていく。鹿児島の学校にはよくあることだが、窓を開けると桜島の噴煙が入って来るので夏だろうと窓は開けてはいけないことになっている。入学したての頃の柚葉はそれを知らずうっかり夜中にかもめ寮の窓を開けてしまったことがあるのだが、 あとで窓がなかなか閉まらなくて後悔した。窓の桟に灰が挟まって閉まらなくなるから開けてはいけないのだ、と身をもって知った。その代わりに室内は冷暖房完備で扇風機までついている。だからこそ柚葉は図書室にいたかったのだが、追い出されてしまったのでは仕方ない。むわっと生ぬるい空気の中で、柚葉はこの後の炎天下の上り坂と下り坂のことを考えてげんなりした。

 一階へのらせん階段を下りていると階下でガサガサと物音が聞こえる。気になって手すりから少し頭を出して下を見ると、大きな荷物を抱えた明石まゆの姿が見えた。一抱えもある四角い箱のようなものに、新聞紙で丁寧に覆いをかけてある。

「まゆー!」

 頭上から降ってくる声にまゆが顔を上げる。目が合ったのが嬉しくて柚葉が階段をパタパタ駆け下りてみると、まゆの額に汗が浮かんでいるのが見えた。

「ゆず、今日は図書室じゃないんだ?」

「毒キノコに追い出されちゃった。……それどうしたの?」

「ああ、これね……よいしょっと」

 まゆが抱えていた荷物を床に置くと、中から「ピピッ!」と抗議するような鳴き声と羽音がした。

「生き物?」

「インコが三羽いるの」

「三羽!?」

 見る? とまゆに促されて新聞紙をぺらっとめくると、ケージの中には黄色、水色、黄色のセキセイインコがそれぞれ落ち着かない様子で止まり木にいた。

「この子たちを私が預かることになっちゃって。今から持って帰るところなんだ」

「え、そもそもインコって学校にいたの?」

「うん。生物研究会で飼ってて」

 生物研究会、と柚葉は記憶を手繰り寄せる。海央館女子高校には現在30以上の部活が存在する。とりあえず一年生の入学直後に行われる生徒会主催の説明会――通称「オリエンテーション」、略してオリエン――で部活が一斉に紹介されるのだが、花形の器楽部の演奏とチアリーディング部の演技にすべての印象を持っていかれてしまうのが正直なところだ。柚葉たちのいる茶道部だってオリエンで目立てていたかと言うとそうではないし、生物研究会、という名前を聞いても柚葉はピンとこなかった。

 「私、茶道部と生物研究会で兼部してるの。でもそろそろ夏休みになると飼ってる生き物を学校に残していくわけにもいかないでしょ? だから部員みんなで分担して持って帰ることになったの」

「なるほどね」

 新聞紙の覆いを元に戻し、よいしょ、と重そうなケージを抱えなおすまゆに柚葉は慌てて言った。

「私も手伝うから。私がケージ持つのはさすがに危ない気がするから、せめてまゆの鞄だけは持たせてよ」

「いや、いやいやいや!」

 まゆがぶんぶん首を横に振る。

「いや、だってゆず、今帰るところだったでしょ? そんなの悪いって!」

「いやいや、さすがに困ってる人見てそのまんまなんて私、できないよ」

「だ、大丈夫だよ、平気!」

 まゆはそう笑ってみせるが、柚葉はその肩にかかった今にもずり落ちそうな鞄をじっと見ている。まゆはちょっとためらってから、もう一度ケージを床に置いて申し訳なさそうに両手を合わせた。

「……じゃあ、駅までお願いしていい?」

「よしきた!」

 柚葉は自分の鞄とまゆの鞄を両肩に一つずつかけるとニヤッと笑った。

***

「あつい……」

「まぶしい……」

 陽が落ちるのが遅くなったこともあり、午後の太陽は大根坂を横からまっすぐに照らしていた。日陰もなくアスファルトの照り返しもあって、柚葉とまゆはどんどん元気がなくなっていった。籠の中のインコたちだけがやかましく鳴いている。

 かもめ寮の前を通ったとき、柚葉は一瞬無意識のうちに寮に目をやっていた。寮の周りの木々が小さな木陰をつくっていた。

「柚葉、もう大丈夫だから寮に帰りなよ」

「いや……」

 その時柚葉はふと閃いた。

「まゆ、ちょっと来て」

「え?」

 そして柚葉はそのまま寮の中に駆け込んでいく。

「え、ちょっと待って私中に入っていいの?」

 柚葉は守衛と素早く話をつけると「くつ脱ぎのところまでなら入っていいって」と手招きした。まゆはそろそろと門をくぐる。

「寮生以外は申請書類いちいち書かないと中まで入れないんだって。荷物ここ置いてていいからちょっとそのへんで待ってて」

 柚葉はそれまでのまゆと自分の荷物を上がりかまちに置くと、ローファーを脱ぎ捨てて靴下のままどこかへ走っていった。仕方ないのでまゆはケージをたたきに置いて自分はかまちに腰かけた。

 三分もしないうちに柚葉がにこにこしながら走ってきた。そして靴下の摩擦でかまちまで滑ってくると、急に柚葉が右手を突き出してきたのでまゆはのけぞった。頬にヒヤリとしたものが触れた。

「ひゃーーっ!」

「あはははは!」

「なにこれ!」

 まゆがそれを払い除けると、柚葉の手にはココアの紙パックがあった。

「これ私のおごり!」

 にへへへ、と柚葉は心底嬉しそうに笑っている。

「いや、でもおごりとか、そんな」

「いやー、困ってたらお互いさまじゃない?それにほら、私も困ってるときはまゆも助けてくれれば結果オーライだしさ」

 それに、と柚葉は左手を見せると、そこにもココアのパックがあって「私も飲みたかったからいいの!」と一人で美味しそうに飲みはじめた。

 まゆは少しためらったが、柚葉からパックを受けとるとストローをさして一口飲んだ。ガツンと来る甘さと冷たさが脳まで染み渡る。

「はぁ……!」

 思わず漏れた声に柚葉とまゆは顔を見合わせて笑いあった。後で柚葉は「あのとき柚葉っていい人だなって思って、そこから仲良くなった気がする」とまゆから聞かされるのだが、柚葉はそれまで自分の気まぐれな優しさをすっかり忘れていたのだった。

 

つづく