かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第9話「セレブの品格」2

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  まゆと駅前で別れた頃には柚葉は軽い空腹を覚えていた。よく考えれば図書室を追い出されてからまゆとインコを運び、かもめ寮で休憩してまた歩いたことを考えるとそれも仕方がない気がした。そんなに頑張ったのか私。これから大根坂を登るにはエネルギー補給もやむなし。ハムカツの買い食いを許す。

 ということで、柚葉は坂の麓の肉屋に走った。コンビニで買う唐揚げよりもなんとなく美味しい気がする、という柚葉のこだわりで、いつもそこで買っている。ただ、晴や遊莉のように堂々と買う度胸はないのでいつも一人で帰るときにこっそり買っているのだった。

 柚葉は肉屋の小さな出窓に手をかけ奥で新聞を読んでいた奥さんに小さく手を振った。そして奥さんと顔を近づけ――ようとしたが身長が足りなかったので思いきり背伸びすると、スパイのように短く告げた。

「ハムカツ一つ」

「……」

 奥さんは例のブツ、いやハムカツを手早く油紙に包むとそっと出窓に滑らせた。

「ありがとうございます」

 柚葉はにっこり笑うと包みを大事そうに抱えてその場を後にした。その後ろ姿を、肉屋の奥さんはひどく怪訝そうに見つめていた。

 左手にハジキ、ではなくハムカツを手にした柚葉は上機嫌だった。人に優しくしたあとは自分も嬉しいし、帰り道のハムカツは背徳感があるし、なんとなくスパイ気分なのもいい。むしゃむしゃとハムカツを頬張りながら、横浜にいたころはあんまりこういうことしなかったな、と柚葉はふと思った。下校中の買い食いは先生に見つかれば学校で吊し上げられたが、見つからなければないのと同じなのでみんな隠れてやっていた。それでも柚葉は「そんな下品なことしない」と三年間一度もしなかった。それは今思えば高潔ぶっていただけだし、「下品」と口にはしたもののそれは柚葉の言葉ではなく母親の言葉だった。本当は帰り道にマックも寄りたかったが見つかって内申点に響くのが怖かった。いや、そうじゃない。親に怒られるのが怖かったのだ。もうそんな歳じゃないとは思っていても一度はめられた型から自分で離れるのはなかなか勇気が要ることで、それだけの勇気が自分にはなかったんだな、と柚葉は実感した。それだけに今、このハムカツがおいしい。象は子供の時に足輪をはめられて丈夫な杭に結びつけられると、大人になっても「この杭は自分で引っ張っても抜けないのだろう」と思い込んで逃げなくなるそうだ。本当はもう簡単に杭は引き抜けてしまうのに。

 ハムカツを咥えたままでると、かもめ寮を誰かがのぞき込んでいるのが遠くに見えた。

 不審者? と一瞬身構えたが、それにしてはやけに背丈が小さい。小学生くらいに見えた。そして色合いや手に持った鞄からすると学生で、柚葉の着ているものと似ていた。近づくにつれてもっとよく見えてくる。紺色のプリーツスカートは膝が隠れる長さで、こんなに暑いのに行儀よく上に着た紺のニットのベストは伸びて腰より長くなっていた。まくったシャツはサイズが大きいらしく、袖からのぞく両腕がやけに細く華奢に見える。柚葉と同じ学校指定の鞄を重そうに抱え、もしゃもしゃしたボブカットが心許なさそうに左右に揺れている。

 身長や服の着方からして女子高の隣の中等部の子かな、と柚葉は思った。このあたりは海央館大学、女子高、中等部が密集して立っているので登下校のルートがかぶりやすい。そして、中等部も女子高も制服のデザインがほとんど変わらないのだった。見分けるのはスカートの色がほんの少し薄いか濃いかくらいで、夏服となるとほとんど見分けがつかないから並んで立ってみないとどっちだかわからないくらいだ。

 もしゃもしゃの頭を左右にゆらゆらさせながら、彼女は寮を悩ましそうに眺めていた。時々背伸びして遠くを見たり何かぶつぶつ呟いている。

 さすがに近くまで来ると彼女も柚葉の視線に気づいたらしく、「あっ、ああっ!」と大袈裟なくらい縮み上がって慌てて駅の方へと小走りにとてとて去っていった。まさに「とてとて」とか「てちてち」とか、リスかハムスターみたいな走り方だった。ちっちゃくてかわいい。

 何だあれ、とハムカツの油紙をくしゃっと丸めながら守衛さんに会釈し、柚葉は寮の門をくぐった。なんとなくアニメみたいな女の子だったと思った。

***

「……っていう女の子見たんですよ。めちゃくちゃアニメっぽい子」

「……ほう?」

 榎は岡倉天心の『東洋の理想』から顔を上げた。

「アニメっぽいって、どうアニメっぽいのよ」

「ベルばらみたいに目に星が飛んでる感じ?」

「違うわ!」

 今日の図書室は柚葉だけでなく、晴と遊莉も一緒だった。柚葉は唸る。

「なんていうか……アクションが。そう、言動じゃなくて『アクション』なんだよ。カチンコ鳴ってアクション、なの。アニメってさ、動作がデフォルメされるでしょ。アニメの中だとびっくりしたら50センチくらい飛び上がるでしょ。現実でそんなに飛び上がる人いないけど」

「そうね。で、その子なんセンチくらい飛んでたの?」

 晴がさすがに噴き出した。柚葉は真面目に答える。

「そんな飛んでない。でも、三センチが十五センチに見えるような何かがあったよ」

「ちなみにさ、」

 唐突に榎が口を挟んだものだから柚葉はたちは驚いて榎を見た。

「その子髪型ショートじゃなかった?」

 このくらいの、と顎のあたりに手をやる榎に柚葉はうなずいた。

「そ、そうでしたけど?」

「んで、身長がこう、ちっちゃい?」

「うん」

 榎は苦笑すると顎で棚の向こうを指した。

「たぶん彼女」

 えっ、と三人で画集の並んだ棚まで駆け寄ると、棚と棚に挟まるように佇んでいたもしゃもしゃのショートボブが本から顔を上げた。現実離れした可愛い声がその口から漏れた。

「あ、昨日の……」

「嘘でしょ!?」

 思わず声が漏れた。てっきり中等部の子だと思っていたばっかりに、まさかここで会うとは思っていなかった。

「同じ高校生だったなんて……」

 彼女は真っ赤になった。

「ち、中学生だと思いますよね普通! わかります、慣れてますからっ!」

「あっ、わ、悪気はなかったんだごめん!」

 そしてこの美少女な声、いや、いわゆるアニメ声というやつには三人で顔を見合わせた。リスのようなつぶらな瞳がこっちを見ている。こういうときどうすればいいんだっけ、と柚葉はどぎまぎするが、サリンジャーに出てくる男の子みたいな挨拶しか出てこなかった。

「えーと……やあ?」

「やあ」って何よ、と遊莉が小突いたが柚葉はこのあとの言葉の方にもっと動揺した。

「えと、昨日メンチカツ食べてらっしゃった方ですよね?」

「メンチカツじゃなくてハムカツ!――って、あっ」

「ゆず、ハムカツって何のことよ」

「いや、大したことじゃ……」

「ほーう?私に何か隠せると思ってる?」

「ほんとに大したことじゃないんだってば!」

「じゃ言いなさいよ」

「やだ、恥ずかしい」

「恥ずかしいー?ほうほう、柚葉ちゃんこっち来なさい」

「大したことじゃないんだってば!」

 書架の外に引っ張り出される柚葉を見てきょとんとしている彼女に向かって、晴ははにかんだ。

「何読んでたの?」

「えっ」

 急に話を振られて彼女はあたふたしたようで、少し晴から目線を外して答えた。

「えっ、えと、背景デザインの技法書です」

「えー!すごい!」

 晴がぐいっと近寄り本を覗きこんだので彼女は反射的に一本後ずさった。書架から出っ張った背表紙が後頭部に当たった。

「ひゃっ!?」

「わっ、ごめんね、大丈夫?」

 そう言ってから晴は彼女の名前を聞いていなかったことに気づいた。

「……えーと、何て呼べばいいかな?」

「あっ」

 彼女もそれに気づいたようで、居ずまいを正すと礼儀正しく頭をぺこりと下げた。

「円谷美々子です。よろしくお願いします」

「私、南城晴ですー。よろしくね!」

 柚葉の尋問を終えた遊莉が書架に戻ってきた。

「あたしは佐々木遊莉。こっちはハムカツ」

「変なあだ名やめてよ!」

 すかさず後ろから柚葉が言った。

「私は真島柚葉。ゆずでいいよ。さっきはごめんね」

 美々子は三人を見回すと改めて深々と頭を下げた。

「み、みなさんよろしくお願いします!」

「真面目ねぇ」

 遊莉は呆れたようにそう言った。

 

 

つづく