かもめダイアリー

画:植木まみすけ http://mm9.hatenablog.com/

第9話「セレブの品格」3

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それから、柚葉が放課後図書室で勉強していると美々子が時々覗きに来るようになった。背の低い書架の影からひょこっと小さな頭が現れる。

「やっほ、美々子」
「どうも」
美々子は照れたようにはにかんだ。
「あ、あの、私も隣に座っていいですか?」
「どうぞどうぞ」

 柚葉が隣の椅子を引くと美々子はぱっと嬉しそうな顔をして、ちまっと椅子に腰かけた。初めは美々子の腰の低さとリアクションに戸惑った柚葉だったが、美々子が楽しそうな顔をしていると自分まで嬉しくなるのを感じてもいた。美々子は美人や美少女の類ではなかったが、独特の「かわいさ」があった。それこそハムスターやチンチラのような小動物特有のかわいさ。だから、柚葉はいつも美々子を見るたびにそのくしゃくしゃなボブをもふもふしたい……といつも思うのだった。そして、今日は無意識のうちに手が伸びた。美々子は隣でノートを開いたところだった。頭頂部に手を置くと、ぽふ、とやわらかい感触がした。

「ひゃあっ!?」
「あ、しまった、うん、ごめん、つい」
「ななななななんですか!?」
「いや、前からこうやってぽふぽふしてみたかったんだよ」
「!?」
全く訳のわからない美々子はただされるがままになり、猫を撫でるように一通りぽふぽふもふもふした柚葉は満足すると美々子のもしゃもしゃした頭を丁寧に手でブローしてからまた自分のノートに向き合った。美々子は柚葉に触られる前より綺麗にセットされた自分の髪型に無言で驚愕している。
「あっ、あの、真島さん」
「はい?」
つられて敬語で返してしまったな、と柚葉は一人で吹き出す。
「あの、今日の世界史の内容教えてください……」
「また寝ちゃった?」
「ごめんなさい!」
「大丈夫、実は私も今日はうとうとしてた。一緒にやろう」
「はい!」
そんな風にして一緒に勉強したり時々飽きて落書きしているうちに、美々子も自分のことを話してくれるようになった。
美々子の家は海央館から片道二時間のところにあり、早起きが苦手な美々子は毎朝遅刻ギリギリになってしまうのだそうだ。そして大根坂を全力疾走した女子高生は皆そうであるように、一限はもれなく寝てしまうのだった。そんなわけで、よく柚葉にノートを見せてもらいに来る。
「たしか、かもめ寮に入れるのは通学片道二時間以上の生徒なんです。だから、私もかもめ寮に入ったらお寝坊も遅刻もなくなるかしら、と思っていたのだけれど……」
「なるほど、だからあの時かもめ寮を覗いてたってわけね」
「あっ、いや、そんな、悪気があったわけじゃ!」と美々子は恥ずかしそうに首をブンブン横に振った。
「あの、私一人でご飯作ったことないし、お掃除だって苦手だし、こう、皆さんのように一緒に生活するとか向いてないかなって思ってて!
「うーん」
柚葉はちょっと考えてから言った。
「ご飯は平日なら食堂があるからだいたい済んじゃうし、部屋は火気厳禁だから自分で火を使う料理はさせてもらえないのよね。あ、遊莉がこっそり部屋にIHコンロ持ち込んでて、土日はたまにみんなで食べたりするよ。あ、私はいつもパスタしか作れないから遊莉に怒られるな。『いーい?パスタと味噌汁は料理じゃないから!』って」
「佐々木さん、なかなか厳しい意見をお持ちなのね……私、おにぎりしか作れないわ」
柚葉は美々子がその小さい手でにこにこしながらおにぎりを握っているところをふと想像してしまった。そしてちょっと頬が緩みそうな自分に気づいてハッとして、何事もなかったかのように話を続けた。
「……あと、共同部の掃除は曜日と当番が決まってる。それぞれの部屋については私は晴と相部屋だから、晴と一緒に掃除するようにはしてる。……んだけど、晴はすぐ散らかすし晴には晴の私物があるから、あんまり晴のテリトリーは触らないようにしてるかなぁ。晴も私の物には絶対触らないでいてくれてるからお互いさまかな」
「そうなんですね」
「多分私も晴も、一人部屋だったらきっと魔窟になってたと思うから、結果的にはお互い牽制してるのかもしれない」
「それはありがたいわ!私もすぐお部屋が物で溢れてしまうもの」
「そうなの?」
だって!と美々子は指折り数え始める。
「パソコンちゃんでしょ、ペンタブちゃんでしょ。同人誌は飾って並べたいし、お絵描きした紙はいつも適当に突っ込んじゃってバラバラだし、あ、そうそう画材もたくさんあるから色えんぴつとボールペンと水彩絵の具と、あとポーズ確認用のフィギュアと……」
「待って、そんな絵師さんみたいなことしてるの!?」
「そ、そんな、絵師さんだなんて!違います!」
美々子は恐縮しきった顔になる。
「わ、私単にお絵描きが趣味なだけです!」
「いや、前から落書きのレベルが落書きじゃないくらい上手いなとは思ってたよ!?」
「私下手ですから!下手ですからぁ!」
美々子が真っ赤になってふるふると首を振るので、柚葉はそれ以上追及をやめた。そうか美々子はそういうことか、とだいたい納得もした。すると、後ろから丸めた雑誌で頭を叩かれた。
「いて」
「真島ちゃんたち、もうちょい静かにするか教室で遊びなさい」
「はぁい」
「ごめんなさい……」
榎は丸めた英語版ワイルドライフを手でぽんぽん叩きながら、またカウンターに戻っていった。表紙のリスのとぼけた顔が見えた。

***

どうして美々子はわざわざ私にノートを見せてもらいに来るのだろう。すぐに隣の席の子に聞いたりすればいいのに、と柚葉はふと思う。そして、ある昼休みに柚葉が森絵都の『永遠の出口』を図書室に返しに行った日、榎にこう言われた。
「円谷さん、教室で元気そう?」
「はい?」
柚葉は一瞬何を言われたのかよくわからなかった。
「えっと、どういうことですか?」
「うーん」
榎は他の生徒に聞こえないよう、やや声を落として言う。
「図書室っていうのはね、『なんとなく居づらい』人たちのための居場所でもあるんだよ。だからちょっと気になってね」
わかるでしょ、真島ちゃんなら。榎がそう目で語りかけるのに柚葉は無言で頷いた。
「別に何かをするとか、助けるとか、そういうのをするのが正しいとまでは俺は思っていない。それをやるのはきっと担任の役目だから。そして多分円谷さんはそこまで行ってないんだと俺は思う。ただ、俺は、図書室はただそこにある場所、誰が来てもいい開かれた場所、そうあることがここでは大事だと思ってる。そして、誰かがそれをちゃんと見てることがね」
あとでわかったことだが、柚葉の激しい図書室通いがやや治まった頃、入れ替わるように美々子が図書室通いを始めていたのだった。 
休み時間になればすぐ落書きに没頭、または寝不足からそのまま突っ伏して寝る、というサイクル。そうなれば周囲が放っておくのも当然で、どうやらそのマイペースさから自然と人との交流がなくなっているらしかった。なんだかちょっと前の自分を見ているようで胸が痛い柚葉。
別にみんなが嫌いなわけではなく、「気づいたらみんないない」のだ。誰に声をかけていいのかわからないし、すでに出来上がってしまったコミュニティにどうやって入っていったらいいかわからない。そもそもコミュニティの中にいたとしても、そこでどう振る舞っていいかわからない。
私だけじゃないんだな、と柚葉は思う。つくし先輩も、美々子も、ちょっとずつ不器用で。
「まあ、 内部生ともうまくやっていける真島ちゃんなら 円谷さんちとも大丈夫だと思うけどねー」
「?」
榎の言葉の意図がよくわからずきょとんとしていた柚葉だったが、予鈴に慌てて図書室を飛び出した。次は体育だ。